前回 小林秀雄さん,岡潔さんの本のことを書いたが,影響を受けたというか記憶に残っているものとして,他に森有正さんの本がある.20代のころ,「遥かなノートル・ダム」「デカルトとパスカル」「ドストエフスキー覚書」を読んだ.「遥かな…」は気が向けばよく読み返していた.10年ほど前に脳幹梗塞で3月ほど入院した時にもベッドの上で読んでいたが,それ以来,ご無沙汰している.経験と体験の違い,内的うながし,言葉の定義についてといったことについて,森さん自身の内に深く降りていって感覚されたこと,思索されたことが書かれていたと思う.私はその表面しか受け取れていないと思う.内的うながしというのも,とても深く,純粋なところから起こってくるものだと思う.私も若い時にはそうしたうながしによって,行動を起すこともときどきあったが,いずれ惰性で日常を送っていくことになってしまったと今振り返っている.

 

   森さんがパリでアパート暮らしをしていた際,家政婦さんを雇っていた話が記憶に残っていたのだが,堅実な日々の生活を通して,神としか名付けようがないものが感得されてくる,神という言葉から入っていってはだめなので,経験を通して,そうと

しか言いようのないものに出会うという道があるだけだ,といった事を言われていたように記憶していたが,今 本を出して,ところどころを拾い読みしながら,その文章を探していたら,「ルオーについて」という章のなかにあった.

 

   他のところで書かれていた文章とおばさんに係る文章が私の中でごっちゃになっていたようだ.以下,森さんが書かれていた文章の一部をぬきだしてみる.

 

 「息子たちからあのように愛され,私の小さい子どもにお土産を買ってよろこばせてくれたおばさんの心は,ルオーの大芸術の究極の目的と何と近いことでしょうか.ルオーの「夜景」の地平線を彩るあの和められた浅みどりの光と,末期のおばさんが疲れの中から子どもたちにむけたやさしいまなざしに降り注いでいた暗い冬の日曜の午後の薄い光と何という同質の美しさをもっていることでしょう.心臓が疲れて,七十何歳で死ぬまで働いたおばさんの生活が世の楽しみにみちたゆたかなものであった筈はありません.パリ人独特の小柄でやせた,目鼻立ちのととのったおばさんは,若い時はきっと相当美人だったのでしょう.しかし,実にソリッドなその働きぶりは,それが若い時からの継続であったことを示しています.その仕事にも,その言動にも,一分もゆるんだところはありませんでした.こうして,この平凡なおばさんの心の中にも,世の荒波を通って,少しずつ少しずつ神の姿が刻まれて行ったのだと思います.」

 「私は考えました.このパリにはこうしたおばさんのような人が,何万人となく働いているのだと.それでパリもフランスも維持されているのだと.アトリエに,学校に,工場に,役所に,病院に,どこにでも何万人となくいるのだ,と」  

 

 今のフランスはどうなんだろう?

日本にもこうした人は,今でもたくさんいるでしょう.地上の星です.私が知っている人は.96歳で亡くなりましたが,昔ながらの古びた雑貨店を90歳近くまでやっていた.店の収入なんてしれたものだったろうが,5人の子どもを育てあげ,親元を離れていったあとは,ようやく自分の時間が持てたのだろう,近所の方や親戚の方とツアーに参加して旅行するのを楽しみにしていた.成人したあとも子が困ったときには,細々と貯めていたお金で工面してあげていた.信仰に支えられていた人だった.年をとってからは,いつも笑顔で,いい笑顔をしていた記憶がある.老人ならではのなんとも言えない笑顔.ある時,エリザベス女王の映像をテレビでみていたら,この人のことが蘇ってきた.いい笑顔だ.(続く)

 

令和4年4月7日 吉野山にて               令和4年4月29日 住宅の裏の1本の桜