本年の最終回です。明日の大晦日と、正月の三が日は停戦。このブログを二年ほど前に始めたときは、下書きを二か月分くらい書きためてから開始しました。まずは伯父の情報収集が目的だったので、こまめに更新するためです。

 

それが去年は一か月分くらいに減り、そろそろ在庫が払底しつつあります。来年は一月が業務繁忙につき、少し更新の頻度が減ってしまうかもしれません。あわてても、どうにかなる話柄でもないので、地道に長く続けます。

 


今回は当時の日付でいうと、昭和十七年(1942年)12月7日。太平洋戦争を始めてから一か年になりなんとするトラックの連合艦隊にて、宇垣纒「戦藻録」に出てくる話題です。まもなく東京に出張する黒島亀人先任参謀に対し、宇垣参謀長が託したメッセージです。

 

これがまた口述なのに、よほど重要な事柄とあってか、今回は特に長い。しかも、文章はいつもの調子で堅苦しい。このため、勝手ながら自己流の現代語訳とすることにしました。カッコ付きの(*)は、訳者の補足です。これを携えつつ黒島参謀が大本営に行き、誰が方針転換を言い出すか、猫の首に鈴をつけるような交渉に臨む。

 

 

荒川自然公園

 

 

戦藻録 十二月七日 月曜日 晴  (以下、後半のみ)

 

現下における状況判断および東南方面作戦の計画案がまとまる。連合艦隊の司令部の大きな任務は、時機をのがさず、作戦指導の精神を明らかにし、艦隊一同をしてこれに集中、邁進させることにある。

 

とにかく遅れがちになり、明瞭さを欠くことがあるのは、今後、深く戒めるべきである。明日、先任参謀が連絡のため上京するにあたり、彼に託すべき用件は、次のとおり口述した(*黒島主任参謀の内地出張は、12月8日発、16日戻り)。

 

 

一 わが軍の進撃が停まり、また、敵の備えが整ったことにより、敵軍の反撃精神は旺盛である。敵の企ては主として、先ず大いに優勢な重飛行機を進め、日本にうばわれた占領地を取り返し、わが国の本土に対する包囲態勢をとることにある。これに対抗するには、各地の守備固めを全うし、また、飛行機の補充と、駆逐艦など小艦艇の建造を急務とする。いま使用可能な駆逐艦は、決戦兵力の輸送において限度にたっしている。

 

二 軍令部第一部長のトラック来訪時期は、来年一月の月初がまずは適当かと思う。すでに当方が要求したことは半分、達成されており、さらに、今回は先任参謀が出張するため、部長の出張は大急ぎではない。

 

 

三 先日の同部長の伝言にあった「それほど心配はご無用、中央において全責任をもって事に当たる」という点は心強い展開。ただし今回のことは、陸軍に対する関係上、極めてデリケートであり、この件が進む間は、現地と中央がこの上なく気脈を通じ合い、進退を誤らないよう心掛ける必要があるので、頭を使う次第である。この出張を望んだのも、そこにある。

 

 理由 (以下は三和・渡辺参謀、大前第十一航艦参謀、山本軍令部員、先任参謀にその都度、伝えたもの)

 

 

(一)  ガダルカナル島の問題の発端は、海軍の側の不用心にある。

 

(二)  第一回から第三回にかけての総攻撃では(*一木、川口、二師)、ずいぶんと陸軍を引っ張り出した。ある時は誘い、ある時は押し、ある時は責任を負わないように仕向けてきた。三回におよぶ失敗は、もちろん陸軍にその責任があるが、輸送補給を全うし得なかった海軍にもまた罪あり。

 

(三) ガダルカナルの奪回を巡って、艦隊はたびたびの戦果を揚げ、威効を奏した。しかるに現地に対する輸送補給は、常にその目的の半分も達しなかった。ガ島は結局、陸軍に「ガ島は餓島」であるという悲鳴を上げさせるほどの惨状を招いた。要するに、連合艦隊は、陸軍を種にし、囮(おとり)として、自分たちの艦隊のみの目的を計ろうとしたのだという疑いを、生死の間をさまよう陸兵に持たせてしまい、僻みに陥らせた。

 

 

(四)  今や最後の思い出に、充分なる兵力を用意して、初心貫徹を期して忍んでいるこのときに、連合艦隊から本作戦の継続不能を持ち出すというのは、何事ぞ(*撤退論は大本営でやってくれの意)。

 

(五)  ブナ方面の戦況も急迫しているのだが、両面作戦(*ガダルカナル島と東部ニューギニア)は不可能だという第八方面軍をして、第六十五旅団・第五十一師団を注入させ、ブナ、ガ島、両方とも成功すればよいのだが、その成算はなく、虻蜂取らずに終わった場合、第八方面軍は、連合艦隊・海軍側の輸送不十分、方針が確立されていないことを責め、第十七軍は兵力が二分する結果に陥るはず。

 

 

(六) かかる状況においてガ島からの撤退の外なしとなれば、たとえ大本営の命令であっても、第八方面軍は連合艦隊に恨みを残したまま釈然とせず、その結果は第十七軍に影響し、生還を求めず無為に敵陣に斬り込み、あるいは腹を切り、あたら三万人の犠牲を生み出して、せっかく連合艦隊が苦労している撤退作戦を、水の泡としてしまうこと、なきにしもあらず。

 

(七) このような状況に陥るとすれば、上陛下に対しまったく申し訳ないだけではなく、国軍の将来に大きな禍根を残し、本作戦の完遂は破綻し、また永く青史に汚点をさらすことになるにちがいない。

 

(八) 以上、最後の最後も考えて、今から慎重に考慮しつつ対処し、非は非とし、不可能は不可能とし、面子にとらわれて意地を張ることなく、また巧言をもてあそんで人を誘うようなことなく、全て腹を割って、のるかそるかの舞台における交渉に当たらなければならない。

 

 

(九)  連合艦隊側から、不能論(*ルンガ飛行場の奪回は不可能)を持ち掛けることは、行きがかり上、不可である。陸軍側とは漸次、交渉を進めるべきであるが、第五十一師団の転用(*東部ニューギニア方面への注入)にせよ、ガ島の撤退論にせよ、無理押しは絶対に禁物であり、自然と彼ら陸軍が自ら「やむなし」と理解させることが肝要である。

 

そうして、この間に立つ中央が、よく諸般の事情を理解しておき、機に応じて采配をふるうこと、喫緊にして欠くべからざることであるから、このためには十分な連合艦隊と中央が事前に気脈を通じておくのが必要であるとする理由である。

 

本件は、余輩がこれまで最も心痛してきたところであり、長官にも申し上げ、また参謀にもその都度、諭してきたところである。先任参謀(*黒島亀人)も、一昨夜以来、考えたものとみえ、本日、余輩の言い分に全く同意であると述べた。

 

 

トンボとともに一休み

 

 

四  首脳部の心配が、部下の心に映ると大変だという注意もありがたいが、自らの懸念を下の者に伝えたことはなく、この点はつとに心に戒めてきた。むしろ、下部の十一にせよ八にせよ(*おそらくラバウルの第十一航艦と第八艦隊)、艦隊長官自らが「自信無し」と言い、当該方面に従事してきた司令官からは、「まだやられるのですか」と訊かれる。あるいは、トラックの防衛を厳重にすべきだという者もある。これに対しては、「やる」と答えて、内心の用意をしてきたのみ。指導司令部が、この前途を見通して、腹を決めることが、絶対に必要だからである。

 

五  大本営の陸軍参謀本部員や、海軍軍令部員が来訪する都度、また連絡便があるたびに、充分な兵力(現場の海軍は勢いっぱいであり、これ以上はいかんともしがたい)を速やかに準備するよう伝えてきたが、今回の準備兵力は遺憾ながら不十分である(*陸軍の第八方面軍や航空隊の戦力に批判的)。しかも、その時機は遅れをとっている。

 

単にソロモン諸島のみならず、ニューギニアも併せた当方面の戦略態勢を重視するならば、新たに思い切った兵力(五個師団以上)の準備を、即刻、下命すべきである。兵力の内容とは、決して頭数をそろえるというものではない(*追加投入には、老兵が多いと別の箇所で怒っている)。火器と機械化の精兵であることを要する。例として、第六十五旅団のごときは、もってのほかで、守備兵にすぎない。

 

 

六 連合艦隊の大部分が、この一局面に釘付けにされているのは、多方面の攻防に即応しがたく、まことに遺憾とするところ。内地への帰還と修理、新しい艦の竣工を急ぎ、また所用器材の配当を工面し、兵力に余裕が持てるようお願いしたい。

 

七  チモール及びアル諸島(*ニューギニア島の西方)は最弱点である。陸海軍協定を改訂して、漸次陸軍兵力を注入しつつあるのは可、ただし、なお充分とは言えず陸軍側に申し入れいただきたい。アリューシャン方面も、アラスカ道路の完成とともに、今後は受け身の立場になることと想像するところ、この方面が窮地に陥ることがないよう、何分の手配がほしい。

 

八  南端の地にいるため、この局面以外の一般情勢は不明であることが多い。敵の企画、諜報など必要あるものは、即刻通知または注意を与えられたし。

 

 

 

 

これで終わりです。おつかれさまでした。いきなりここだけ読むと、おそらく読後感が宜しくないだろうと推察いたします。この陸軍に対する批判と対応策は、省庁縦割りの弊害どころか、極道の縄張り争いのような印象がある。敵は本能寺にもあるかのようです。

 

この前後の「戦藻録」の記事から、若干の背景事情を補足致します。歩兵第六十五旅団が、戦う前から罵倒されているが、これは旅団の責任ではない。六十五旅を輸送した艦隊の司令官と数日前に面会しており、同旅団は三十以上の老兵ばかりという話題が出た。もしも激戦の地に弱兵を送ったのだとしたら、それは動員の担当である中央の責任もしくは限界だ。

 

 

最後の愚痴っぽい部分は、大本営からの情報が遅い又は無いというのが日ごろの不満で、欧州の動きも艦内の新聞で初めて知るような有様。海軍は攻守ともに迅速さが命でしょうし、別の見方をすれば、トラックから動けない連合艦隊にそこまで責任を負わせているのか、それとも担当外に口出しが多い人なのか、何が問題なのかはよくわかりません。いつもながら、軍令部との関係が不透明。

 

駆逐艦と航空機については直前に第一線から、「足りなくて戦えない」と直訴されたばかりで、それをそのまま内地につないでいる。実際、ガダルカナルへのドラム缶輸送も、ニューギニアへの鼠輸送も失敗が多く、これら機能性の高い兵器の損耗度が激しいのが痛い。それなのに、ここで足止めされたままという訴えは、連合艦隊の立場からすれば痛切です。

 

 

連合艦隊が真珠湾を攻撃してから一年たち、宇垣参謀長が試算したところ、11月20日の時点の戦死者は、14,802柱に「敬弔の意を表す」ことになった。後日、軍医が精査したところ、実際はもう少し多かった。人員も船舶も航空機も失い続けている。

 

もうこれ以上は無理であり、ここに踏みとどまる意義はないと、はっきり言っているのは確かであり、ボクシングなら「タオルを投げてくれ」と言っているようなものだろう。ただし、投げる相手が連合軍ではなく、味方のはずの陸軍であり、昭和天皇だ。この調子で機敏な判断ができず、情報不足のまま、戦争がずるずると続く。

 

上記の人員の損失に続き、「戦藻録」には沈めた敵の数という戦果の集計もある。これがまた基礎資料が大本営発表なので、すでに敵軍艦を11隻、敵空母も11隻沈めている。これには連合艦隊の報告数が含まれているから自業自得の部分があるが、それにしても将官級からして対等の戦いをやっているという認識のままだから、終わらせようという議論にならない。

 

 

ただし、宇垣参謀長は内地における表向きの戦況説明と、第一線の損害状況の認識の間に、「肌ざわり」の違いがあるのに気づいており、その点は陸軍も同じ。これほど長い日記を書いているくらいなら、初めから電報にまとめあげて、皇城と大本営に送り付けてやればよかったのに。大騒ぎになっただろうが、ともあれこれで「漸次交渉」などやっている場合ではないことは伝わるはずだ。

 

実際はガダルカナル撤退の大命が現地に伝わるまでに、これから一か月を要し、さらに撤退作戦が終了するまで、さらに一か月を要した。その間に失われた人の数は、当時も今も正確に数えようがないだろうが、日々増える一方だったのは間違いない。

 

本年は以上を持ちまして終わり。黒島参謀が本土に上陸して以降のブログの更新は、年明けに再開いたします。今年も数多くの情報ご提供や、お力添えのコメントを頂戴いたしまして、大変ありがとう存じます。どうぞ良い年をお迎えください。

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

記念館前のサルビアと秋海棠  (2019年10月28日撮影)

 

 

 

 

 

 

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