「ジングル・ベルズ」も「ウィンター・ワンダー・ランド」も、英語の歌詞にはクリスマス・イブもサンタクロースもトナカイさんも出てきません。馬のソリや雪だるまなら出てきます。あちらでは「雪やこんこん」のような歌です。
幼稚園児のころだったか、サンタクロースに靴下をもらったことがあります。靴下なんて滅多に買ってもらえなかったので嬉しかったですが、思えば通常、靴下はサンタクロースが贈り物を入れるための袋ではなかったろうか。ともあれサンタのおじさんは置き配の創始者でありましょう。
本日の写真は晩秋の水元公園
前回の続き。重巡洋艦「摩耶」の最期。雷撃で傾いた「摩耶」艦上にて、大江艦長は艦橋右舷前方に立ち、窓枠を握って傾く身体を支えていた。副長永井中佐が何か言葉をかけると、艦長は旗甲板に移動した。
そこから事態の急変に大わらわの部下一同に向かい、「この戦いは終わった。ただいまから天皇陛下の万歳を三唱する」と声をかけ、艦全体のざわめきが一瞬止み、艦長に唱和して乗員の万斉三唱の叫び声がそれぞれの持ち場に響いた。
艦長は艦橋に戻り、永井副長が命令を発している。まず「総員上へ」。まだ罐室や砲塔
内で働いている者がいた。続いて「総員退去」。なお、永井副長はこのあと沈没後に救助されたが、移乗した戦艦「武蔵」とともにシブヤン海にて海没、戦死。
井上航海長が「艦長、一緒に退艦しましょう」と声をかけたが、大江艦長は動かなかった。船は赤い船腹を見せ、その上を多くの兵隊が這って動いている。「靴ひもを固く結べ」という命令あり、靴を脱げという命令あり。
カワラヒワとマヒワ
おそらく著者であろう「池田少尉」は、舷側を這って海面に近づき、そこで高角砲指揮官の中島少尉に出会った。「双方とも顔面蒼白で、期せずして手を握り合った」。会話を交わす。「とうとうやられたね」、「艦長は?」。
振り向くと艦長は右舷前部の艦橋窓から身を乗り出し、海面を凝視していた。艦長の目は微笑んでいるようにも見え、憔悴しているようにも見えた。艦長がこちらに向かって何か叫んだが、聞き取れなかった。
乗員が海に飛び込み始めたころは、四周を見渡しても、僚船は一隻も見当たらなかった。後に駆逐艦「秋霜」が迎えにくるまで、海上の将兵は浮遊物につかまって漂い続けた。「摩耶」が三十度傾斜のまま、艦首から沈み始めたのが見えた。
最後尾の赤腹から突き出た推進軸の先端にあるスクリューが空転している。「真紅の軍艦旗は紺碧の空にわずかにはためいている」。「軍艦摩耶万歳」の叫び声、続いて「海ゆかば」の斉唱。「摩耶」は軍艦旗をはためかせながら全没していった。お写真は助かったのだろうか。
昭和五年十一月、日本国民の祝福のうちに誕生した軍艦「摩耶」は、満十四年の短い生涯を閉じた。ときに昭和十九年十月二十三日、レイテ沖決戦の前々日であった。
午前六時五十九分、雷撃されてかわずかに数分、この日の太陽がはるか東方の水平線を離れた時刻であった。北緯九度二十九分、東経一一七度二○分、東の空にパラワン島の嶺をわずかに望む海である。
(つづく)
ウソ (2025年12月5日撮影)
.




