オタマジャクシ かなり大きいのでウシガエルか
この調子でアイタペの戦いを詳述してゆくと、戦史叢書の丸写しのようになりかねない。戦闘経過に関心のある方は、戦史叢書をネットでお読みいただくのが何より正確で詳しい。それに渡河後の顛末は、概要を個人の回想録ですでに読んでいる。
とは申しつつ、今回は攻撃開始初日に先陣の第二十師団に続き攻撃を開始した、第四十一師団の第一線大隊長の証言を、戦史叢書から抜粋する。四十一師の第二百三十七連隊、第一大隊長の山下繁道少佐による陳述は「極めて重要」であると戦史叢書が評価している。
彼の第一大隊は、第四十一師団の作戦計画によると「正面主力」に配備され、先頭を切って坂東河に向かった。しかし師団の他部隊は前進が遅れ、7月10日の攻撃開始日になっても、攻撃準備と敵情視察を了しているのは第一大隊だけという状況にあった。
当日、同大隊と後方の連隊本部の間に、敵が砲弾を撃ち込んできたため、攻撃の企図と自軍の集結地はすでに察知されたものと判断した。大隊長は部隊を右方向に移動させ、さらに攻撃目標を命令にあった正面を避け、向かって右側の川中島と更にその右にある中洲の間を「奇襲」することにした。
軍命令は「強襲」である。思い切った決断をしたものだ。大隊が突撃に備え「機関銃の射向を一銃一銃点検」していたとき、なぜか「突然二十師団方面が砲門を開き射撃を開始した」。大隊長は驚いた。以下、その陳述を引用する。
何だ、まだ十数分あるはずだと、思うのも束の間、左側のわが大隊砲が射撃を始めた。「コラ、撃つのではない」と大声をたてつつ大隊砲の側に走り制止する間に、機関銃も射撃を開始した。
わが方が射撃を開始すると敵も一斉に射撃を開始し、万雷の一時に轟くがごとく、わが青い曳光弾が川中島の小石に跳ね返り跳弾となって天に舞い上がるその光景は、まるで花火のように壮観この上なかった。一時は呆然としてこれを見ていた。
臨場感、満載である。号令一つで射撃する準備をしてると、誰かの最初の一発で総出の撃ちあいになるらしい。戦史叢書で「コラ」を初めて見た。大砲と花火は原理的に同じ。青い曳光弾の跳弾が打ち上げ花火に見えた。奇襲どころではなくなった。
しかし見物していた大隊長も「やっと我に返り」、機関銃の射撃指導など始めたところ、敵の砲撃が後方の密林に炸裂し大木の倒れる音、蒙々たる黒煙、そして敵の射程が縮まり始め、段々と部隊の近くに砲弾が落ち始めた。
コシアキトンボ
前進命令の時が来た。書記が復唱している間に、敵の曳光弾がするすると空に上がり真昼の明るさになった。見れば副官皆藤中尉が坂東河を渡り始めている。大隊長は「遅れては恥」と思い、書記伝令を連れ、敵弾の中を無我夢中で渡河した。
この次の証言が前出の「極めて重要」な陳述とされているものだ。山下大隊長は渡り終えて後ろを振り向いた。誰か追ってくる。「山下回想」と並んで掲載されている証言者の同連隊の中村福一大尉は、連隊付で後方にいたところ、敵の銃砲弾がスコールのごとく降り注ぎ始め、鉄の壁のように見えた。
この中村大尉は「丸」別冊の寄稿者で、前出の第2076回において登場した連隊旗手。「丸」では数人の護衛兵を率いて先行する自軍の第一線を追って軍旗を進めたと語っていたが、その第一線が山下部隊だった。
山下大隊長が中村旗手から聞いたところによると、「連隊主力附近は昨夜敵砲弾の集中射撃を被り、部隊はバラバラになって連隊長(の所在)は全然わからぬ」とのことであった。えらいことになった。渡河したは良いが、連隊司令部と離れ離れになった。
(つづく)
拙宅の玄関先より「足立の花火」 (2026年5月30日撮影)
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