上野寛永寺の牡丹
小学生のころは雨の日の昼休みや放課後など、よく図書館で過ごしていた。なぜか大人の本を子供向けに書きなおしたものが好きで、太平記や南総里見八犬伝や聖書物語や北欧神話「神々のたそがれ」など何度も読み返した。昔から神様も人間も戦争ばかりしている。
子供向け「太平記」に出てくる楠木正成は、子供の私にとって忠臣という不可思議なものではなく、千早城に拠る野武士の親分みたいに思っていた。当時はパレスチナにもアイルランドにも北ベトナムにも解放戦線があってニュースによく出てきた。
ゲリラ戦で活躍し勝負強く、最期は湊川で判官贔屓されそうな負け方をしたので、やっぱり神様になっている。しかし先の大戦時の軍隊、特に陸軍の会話などに出てくるときは信玄や信長のように「公」が付いているから、軍神としてではなく侍大将の鏡なのだろう。
水木しげる「総員玉砕せよ!」には、多勢に無勢の攻撃を仕掛ける「大楠公」の精神を説く大隊長が出てくるが、湊川の戦いは最初からバンザイ突撃をしたのではない。新田義貞が戦さ下手だったからだという力説を読んだ覚えがある。
わが卓上のテッセン
前置きはここまで。昭和十九年(1944年)7月1日、木浦村にあるアイタペの戦いの戦闘指揮所に前進した安達二十三軍司令官は、幕僚の杉山茂高級参謀および田中兼五郎参謀を呼び軍議を開いた。戦史叢書(084)には、こう記されている。
六月二十日ごろから同地に進出していた田中兼五郎参謀の報告を聴き、軍の現況と
先に大本営から与えられた新任務とに基づき、アイタペに対する作戦を予定のとおり実行すべきかに関し、再度の検討を行った。
ここではその詳細に触れないが、第十八軍の兵は酷く消耗しており、おそらく軍司令官は進出してきた際、すでに惨状ともいうべき「軍の現況」について改めて見聞したにちがいない。大本営の新任務とは「持久」である。まだ迷いがあったようなのだ。
両参謀の証言は長いので、次回に続ける。先に結論からいうと、三人の意見は進出前と変わらずという点で一致し、第十八軍は攻撃態勢に入る。アイタペの戦いは、楠公さんで行こうということになった。
(つづく)
春型のアゲハチョウ (2026年3月21日撮影)
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