Twitterをやってる皆さんなら「表現の自由論」を聞いたことがあるだろう。「過激なフェミニズム」がアニメや漫画の「萌え表現」を目の敵にし「表現狩り」を行うのに対して、それを「表現の自由」としてそれを擁護する考え方である。こうしたイデオロギー論争についての「是非論」「べき論」には本稿では立ち入らない。むしろ、その現状を分析したいと思う。

 なぜ、本稿のように現状を分析するのかというと理由は以下の2点である。まず第一に、「表現の自由」を実際に守るならば、それは政治や行政、司法といった領域が主戦場になり、おのずと社会運動としての性格を見せるからである。現に、表現の自由の危機としては東京都の石原都政下の青少年条例の制定や、後に見るようにあいちトリエンナーレの問題など行政を舞台になっているものも多い。

 第2に、筆者自身の素朴な問題関心であるが、「ネットでの議論は現実世界に一切関係のないものである」という疑問にこたえるためである。実際にネット上では常にこうした話題を見ない日はないであろう。しかしながら、自分自身の感覚として、現実世界ではこのような話題が出る方が珍しい、というかほとんどない。こうしたネット上とネット外の「世論」の乖離が気になったからである。そのため、このTwitter上で常に議論の対象となっているこの話題を取り上げる。

 論証の方法としては世論調査などで、現実ではこの論点がどの様に受け入れられているかを検証してみたいと思う。使う素材としては主に平成21年度の男女共同参画に関する世論調査についてみてみたいと思う。なぜなら、この調査には「メディアにおける性・暴力表現に対する考え方」という調査項目があり、本稿で扱う「表減の自由」についてよくわかると考えるからである。

 

https://survey.gov-online.go.jp/h21/h21-danjo/2-3.html

 

それでは、実際にどのようになっているか見ていこう。まず、メディアにおける性・暴力表現について問題があるかどうかである。以下に調査の結果を示す。

 

これを見るとほぼすべての年代、性別関係なく問題視されるような表現があり、それが「表現の自由」擁護者のいうような「ただの言葉狩り」とはいいがたい現状であることがわかる。

次いで、なぜ問題があるのかその理由を問う質問がある。いかに結果を示したい。

 

 

様々な理由から問題視されてはいる。しかしながら本稿では「べき論」「是非論」に踏み込まないという理由からこれらの理由について論評することをあえてさける。しかしながら、現実として問題におもっている者がいるという事実のみを抽出する。

そして、最後の設問であるが、これらの問題にどう対処したらよいのか、その方法を問うている設問が最後である。以下にその結果を示す。

 

この結果からは2つのことが言えるだろう。まず特に制限の必要はないという項目を選んだ者は非常に少数である。次に政府・行政による指導や法改正を求めるなど国家による強権的な管理を求める項目が人気なのである。

 

以上の3つの項目を見た結果、世論調査からはまずメディアの性表現には問題のあると感じるものが非常におおいこと、そして国家による強力な管理を求めるものが多いことが世論として読み取れるのである。

そして、こうした世論の動向はネット上で隆盛を極める「表現の自由論」とは大きく乖離している。

 そしてこのことは去年大きな問題となった「あいちトリエンナーレ」での問題についてもいえるのである。「あいちトリエンナーレ」は表現の自由が問題になった事案である。

しかしながら、以下の世論調査のように国家が補助金の交付を認めないことに対して、世論は肯定的に見ていたのである。

 

https://news.tbs.co.jp/newsi_sp/yoron/backnumber/20191005/q6-1.html

 

ここからは、現状世論としては「表現の自由」を後押しするような世論は大きくない結論づけられる。

 

では、なぜ、「ネット世論」と現実の世論の間にここまでの乖離が生まれてしまったのであろうか。本稿ではそれについて、ハーバーマスの「公共圏」の議論をもとに考えてみたいと思う。ハーバーマスは公共圏を、多種多様な意見を集約する討議のアリーナ(闘技場)と位置づけ、様々な言説が闘わせられる場所として描いている。そして、公共圏は『個人間のローカル・コミュニケーション』をマスメディア(テレビ・ラジオ・新聞・書籍)やインターネットを利用して幅広くしていくものとしている[1]

 すなわち、自らの主張をマスメディアを通じていかに多くの人に広め、説得していくゲームを行っているようなものである。そして、その手段としてコミュニケーションがあり、それはすなわち社会運動なのである。

 そして、現状を見るならば「表現の自由」に関するコミュニケーションうまくいっていないどころか失敗しているといえよう。そしてそれは「表現の自由」に関してはネット上の存在で現実社会での運動がないことと関係している。

現状、表現規制に関してはデモや署名活動について、検索をかけると、共産党が主催するものが出てくるくらいで活発とは言えない。そのため、現状としてネットを離れたところで「表現の自由」を主張するならば、パプリックエネミーか共産党シンパくらいの扱いをうける可能性が高い。

この現状は、前出の世論調査とも符合し説得力をもつ。 そのため、表現規制の条例なり法案が提案された場合、可決成立する公算は高く それをした場合、政権にとってダメージどころかプラスに働くと考えられる。

そして以上の結論を受け入れるならば、社会運動として表現規制反対派の行うことはTwitterという非公共圏での議論ではなく、街頭に出ることである。組織化することであるといえよう。現状では「表現の自由」とネットで主張することは怠惰な「社会運動ごっこ」以上の意味をもたないといえる。

 

 

[1] ハーバーマス(1994)、斎藤(2000