2年前のブログを読んでて色々と 

気づいたことがある。 


時間があったから定期的に自分のことを

振り返って、自分ができるように

なったこととか気づいたことを

振り返っていたってこと。


で、その振り返りのことを定期的に

見返さなくてもブログに素直な感情と

一緒に書き出したおかげで、


何となくポイントやその時の感情や

出来事が頭に入ってる状態になってるってこと。


でもやっぱり2年前と同じような

固定観念も持っているなってこと。

2年前のブログを読んで心の中の自分があまりにも素直すぎて愛おしくなった。


ブログを見て勇気づけられたので、

私も自分がゲストハウスを出る前と

出た後で変わったことを書いてみる。


ゲストハウスを出る直前と出て1年後(今)で、

今までで箱入り娘はどう変わったのか。


社会のことも人付き合いのことも

家事のこともひとり暮らしの方法も

大学を卒業する方法も資格の勉強を

する方法も何もわからなくて、

マネーリテラシーもなかった。


ただ男の人との恋愛でこの人といれば

幸せになれると信じて身体と心を

熱くしていた毎日だった。


そんな私が、今、社会を知って

利己的な自我をなんとか閉じ込めて

押さえつけて組織を乱さないように

馴染みながら月20万以上の所得を稼ぎ、


自炊も作り置きできるようになり、

1人でも何とか楽しく生きる方法を

少しは見つけられてきていて、


大学は勉強の要領を掴んで余裕で卒業して、

生命保険の資格を4つも取って、

ニーサを始めてて、


他人の口から出た言葉が全てで

それ以外の情報は無いと、

1人を妄信もせず決めつけもせず


程よい距離感でお互いのことを

知っていこうと構えられる程度の

余裕を持つことができるようになってきた。


これはすごく社会的に見ても心を見ても

成長をしていると思う。


ただ、ブログを読んでて、

完璧に他人と向き合う歩み寄る

真面目に理解をするということに

重点を置いているのは変わっていないなと

思ったし、


別に、舐められる舐められない

どっちがのむのまれる見下す見下さないは

大事なことではなく、


そこで関わり合ってる人間が

欠けてるところあってもどんな形で

愛を受け取ったり貰ったりしていても

全ての本心を知ることってできないし、


お互いの心がしあわせであれば

それが正解というか2人でいる意味が

ある関係だなって思う。


2人でしあわせを2倍にするのが

恋人なのであって、自分の譲れん

価値観やプライドを捨ててまで

他人に合わせることで2人がしあわせに

なれるわけじゃないから。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下に2022年6月、7月のブログから

抜粋して気になった文章に

セルフツッコミをしてみた。


•レンタル彼女をやると言うと心配される

って知らなくて、周りの空気の違和感を

感じ取らない人間だった。


•1番近いと思ってた人にも

わかってもらえないのはその人が

経験したことから思考が作られるから

仕方ない

(メイドカフェでバイトしたのを

承認欲求って言われたこと)


•モニターバイトで見た大学生みたいに

なってるってこと。

「(壊しちゃいそうで怖い。)

これほんとに大丈夫ですか?」


教えてくれる人の言葉を信じなくて、

誰の言葉を信じるの?笑


誰も、(椅子)マスターとかじゃない。

みんな、いろんなパターンを探して、

手探りで触る。

そんなに失敗するの怖がらなくていいのに…。


 「ちょっと完璧に理解できているかは

わからないのですが…大丈夫ですか

わからないことがあったら聞いても。」

(アスペ特有の変な文の流れ)


 完璧に理解できていないとか

わざわざ言わなくていいのに。 


今はやることの概要を言っただけで、

完璧に理解する場面じゃねーから! 

さっきの説明と照らし合わせながら

実際自分でやるときに理解すればいーから! 


そもそもバイトに任せることなんて、

誰でもできることしかないよ。(笑)

将さんも言ってたけど。


•「この人(りささん)が言うから正しい」

 という考えは存続してる。


「国語の成績良い人が言ってることだから

間違いない。」とおもい、

自分の頭で疑問を持つことをしなかった結果、

同じ反応ばっかりでつまらないと

言われてしまった。


•おねが彼女との夜の話を自虐風な

言い方してて同情を誘われてたけど

自分のプライドが傷ついたから

好きになった女の子のこと


悪く言ってるのはマジでダサいから

同情に引っ掛かったらダメだよ。


読んでそう言えばおねみたいなタイプは

地雷だなと思い出したくらいだから

ちょろいのは変わっていないかも。


•守脇と楓葉に、すぐに結論を出そうと

するのは悪い癖だと言われた。


ゴールがあると思わないで。

「あの時こうだと思ったけど、

今はこう考えるなぁ」とか、

考え続ける姿勢が大事だよ。


と書かれていて、

最近、できていなかったなって思った。


優乃が完成形、彼みたいになれたら

友達も恋人もできる。

っていうのを、一時的な結論とか

じゃなくて、


「きっとこれからもそうにしか

ならないから頑張り続けるしか無い」

って、人生の最終結論をもう出そうと

している。


•ゲストハウスに住んでからは

実家にいる時よりも大きく成長したことを

つい忘れていた。

“今は、いっぱい体験を残してる。

スカイダイビングしてみたり、

始めたばかりだけど、仕事に誇りをもてていた。人との距離感もわかるようになった。


自炊だって、セクハラオヤジを

追い払うことだってできる。”


•文さんは自己中。距離を縮めることは

望んでいない。あまり相手の反応を

見ることに興味がない。 


相手が悩んでいる時、深刻に受け止めず、

「まぁこれくらいでいいか」と

与える分量が間違って言葉をかけてほしい

ときにかけなかったり、


かけてほしくないときに、かけたりしている。

その結果メンヘラが生まれている。

 自分が悪かったかなと省みることを

しないから今までいろんな女の子を

メンヘラにさせてしまっている。


•SかMかを分ける基準として、

「のみたいひとか、のまれたいひとか」

を考えていた。


【Mの特徴】

突っ込まれたら嬉しそうにニヤニヤする人は

Mっぽい気がする。

 かまってもらえてうれしそう。

ゆるい感じでのまれる状況を楽しんでいる。


命令をすることに慣れていない。

相手をのむことに申し訳なさを感じるので、

お願い形式の言動が増える。

お願いする≒求めているという雰囲気も出る。


少し照れながらお礼を言う。

言葉がどもってたり、顔がにやけてたりする。 

こっちのほうが、うれしさが伝わってきて、

もっと褒めてほしいように見える。


【Sの特徴】

•楓葉は、守脇にいじられたら、抵抗している。押し合っている感じがする。

だから、楓葉はMじゃない。


「お願いする」っていう行動が

そもそもSには少ない。

Sの人がするのは、「しつけ」に近い。

「ありがとー!」ってさわやかに言える人。


もっと褒めてオーラを出さない。

嬉しそうにはする。

「褒めてくれてありがとう」という

気持ちを相手に伝えるために

喜んでいるようにちょっとオーバーに

演技しているだけ。褒められなれている。


 •Kさんを好きになりかけた自分は

文さんを溺愛してたあの頃と近かった。

文に惹かれるのは、


「稚菜が弱すぎて、普通の人が

喰らわない毒に喰らってる感じ。」

と書かれていた。


流石にKのワンナイトは自分から

誘ってるしこういう優しすぎる人は

良くないっていうのを前情報で

楓葉からも聞いてたから盲信しない

ことができた。


•趣味についてゲストハウスの人から

聞かれた時、


「長く続けてる趣味とかある?

スカイダイビングとか、英語は、

趣味じゃなくてブームなんだよね。

料理も違う。実益が伴わないもの。」

って言われて、出てこなかった。


それをやることが自分の意思を持つことに繋がると思うと言われた。

→2年前の私ごめん、見つかってないわw

FPは実益伴うよね??


•千恵子に問題が起きたときのことは

起きてから考えればいい。

そうしないと何も新しいことできない。

って言われてたことを思い出した。


→その言葉に背中を押された自分がいる。

よしデンマーク行こう。


•コミュニケーションという答えがない

問題のことをずっと考えてても

永遠に答えがわからず報われないので、

それで楽しめていないなら、


楽しめるほうに持っていけばいいのでないだろうか。と書かれていた。


見下す見下さないとか舐めた舐められるとかが

起こらないようにすることで幸せに

直結するかと言えばそうはならない。


道徳性や正義感なんてなくてもお互い幸せならそれでいいんだよ。って楓葉が言ってた。


→こういう考え方ができればすごく楽だと思う。真面目に向き合わないといけないと思って、

男を犬と思ってる都坂さんをバカにしてた。


きっと楓葉たちは、所詮他人だから

100%はわかりあうことはできないと

いうことを知っていたんだとおもう。

だからそういう割り切りをしていたんだと思う。


自分も薄々気づいてる。

他人なんだから100%分かり合えるわけない。

ゲストハウスを出てから、


ゲストハウスで知り合った真奈美さんと

遊ぶようになったけど、2人で遊んだ時、

自分が1番好きになった真奈美さんに対してさえある一面を見て嫌だなって思った自分がいた。


実際に割り切って付き合ってる自分もいる。

自分が嫌になったのであれば、

それは他人も同じで、100%の気持ちを

ぶつけることはできないと諦めた方がきっと楽だ。


けど、私は、

「真奈美さんよりももっと良い人間に

出会えるはず。」

「だからその時まで自分の近いところに

置く友達のポジションは開けておく。」


と思ってる。


「他人とは、人間とは、

欠けてる部分があるもの」

という達観ではなく、


「今までの経験で出会ってきた他人は

みんな欠けてる人だという認識」をしている。

達観までは言っていないけど、


真奈美さんからも少し近づいたと思ったら

距離を置いてみようと調節したりして

少しずつ自分と他人の境界線が

見えてきているのがわかる。


•まだまだ、周りは家族ではなく

他人なのだと、 お互いに別々の社会が

あるのだと、愛されても友達になるのは

難しいことなのだと、 理解するのは

先になりそう。 


→これはもう割とすぐ理解したよね

そんな先じゃなかった。


社会人になればこういう考え方を

していないとどこかそのコミュニティに

馴染めていないような感じが出るから、


そのコミュニティのバランスを

崩さないようにしなきゃだから、

必然的に身につく。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

久しぶりに書いてみて思ったこと


ブログ書くのは楽しい。

やっぱり定期的に自分ができるように

なったことを振り返って自己肯定感とかが

上がるからかな。


あとは、今日何気なく空を見上げたら、青空が綺麗で、あの頃も今と同じように空を見ているんだなって気づいたから。


ブログをネットカフェ的なところで

書きまくって、徹夜した朝焼けの帰り道で

見たときになんて爽やかな空なんだろうかと

思ったけど、今も同じ空を見ているんだなって。


なんか最近すっかり日常が退屈に

なってしまって、


空も淀んでいるように見えていたけど、

今日久しぶりにブログを書いて

あの日の空を思い出した。


空を見ながら、

あんな自分いたなぁって思い出して

微笑ましくなった。


あとは、自分で選んだ選択だって

自分で始めた物語って思い出したから。


また自分のペースでやっていきます。

読んでくれてありがとうございました!

〜せなこ〜