とまと栽培始めました(^Д^)ギャハ
冷やし中華始めましたぢゃねーんだからよぉ…
小さなつぼみが出て参りましたぜw
早く収穫したいなー♪
あ、肥料買ってこなきゃ(ノ´∀`*)
あ゛ー!ヽ(`Д´#)ノ
とまと食べたーーーーーい!
Celeb・de・Tomato行きたーーーーい!
トマトよこせーwщ(゚д゚щ)
と、今日はなぜかトマト中毒症状悪化です(´・ω・`)
大変長らくお待たせしました!!
・・・
(´・ω`・)エッ?
マッテ(ヾノ・∀・`)ナイ?
ヽ(`Д´)ノソンナコトイワナイノ!!
本日は前田慶次400回忌供養祭の
ロゴマークを紹介します♪
米沢記事が終わってないことは突っ込まないでw
今回、供養祭限定グッズのデザイン、企画展のご協力で
お世話になっているランドコミュニケーションズ様にお願いし
400回忌限定ロゴを制作しました。
それがこちら!
現在制作中のグッズに使用予定です^^
イメージは映画「300」の力強いロゴを参考にしています。
しかも、なーんと400の部分は
デザイナーさんが筆で書いて下さってます。
今でこそ400th Memorialという文字を
見かけるようになりましたが
そもそも昨年10月に供養塔様が
これでいこうと決めたフレーズなんですョ。
それは前田慶次オリジナルフレーム切手にも使用されており
私達実行委員も、米沢を盛り上げるお手伝いが出来
嬉しい限りです(ノ´∀`*)
供養祭で販売される
オリジナルグッズの内容はまだ発表できませんが
たくさんの方々にご協力いただき
参加される皆さまが喜んでくれるよう
鋭意制作中ですので
発表まで今しばらくお待ちくださいませ♪
ボランティアに参加した3日間
ある意味本当に充実した時間でした。
その中で、学んだこと、気付いたこと・・・。
コーディネーターからも、横浜に帰ったら
是非現地で見たことを多くの人に話して欲しいと言っていたので
伝えたいことをまとめようと思います。
現在、東日本大震災において
ボランティア登録者数は4.4万人と言われています。
阪神大震災では150万人のボランティアが
活動されていたそうですが
今回このように登録者が少ない理由は
被災した地域が500kmに及ぶ広範囲で
津波など2次災害が酷く移動も困難な状況であったり
行政なども大きな被害を受け
機能することが困難な状況であることなどが挙げられます。
1日4万人が活動するというなら
きっともっと作業が進むはずでしょうが
4万人のボランティア登録では、全然足りないのが現状のようです。
ボランティアをしたいと思う方がいたら
「明日でいいや」「今度にしよう」ではなく
したいとおもったその時に、ぜひ登録してください。
現地でのボランティアセンターでは炊き出し、物資の仕分け、
運搬、洗濯掃除、片付け、話し相手、つきそいなどなど
たくさんの活動があり、
現地の状況とニーズによってその日に振り分けられます。
※経験や体力などによって考慮して頂くことはあっても
個人参加で活動内容を限定したり、好き嫌いは基本できません。
県などのボランティア団体に登録している場合は
活動内容を指定しての募集になります。
ただ、津波や地震被害の映像を見て、熱くなり
支援するんだ!といきり立って参加するのは良くないです。
某自衛隊員が、我を忘れ無断欠勤して
ボランティアに参加したというニュースもありましたが
職場や周りに迷惑をかけるような無理はしないでください。
また、私達は一緒に復興への協力させて頂くのであって
「してあげる」ではありません。
上から目線ではなく、対等の関係です。
現地ではとてもナーバスになっているので
そういった言葉でトラブルになることだってあります。
常に冷静な判断と、気遣いができるよう心がけることも大切です。
また、大変悲しいことですが
野次馬根性でボランティアに参加し迷惑をかけたり
一部では近隣からの見物渋滞なども起きたと聞きました。
モラルに欠け、これ以上現地の方を傷つけるようなことは
やめて頂きたいと切に思います。
ボランティアは自己責任、自己完結が鉄則です。
今回も、ほんの少しでも具合が悪いのなら
すぐに作業をやめてください、
疲れたり喉が渇いたなども我慢せずに休憩してくださいと
何度も言われました。
多少具合が悪くても無理して「やらなきゃ!」と作業を続けることで
怪我や病気などに繋がりかねないとのことでした。
そうなると最終的に他のボランティアや
現地の方にも迷惑をかけかねないですもんね。
そういった最低限のルールを守る自信がないのであれば、
現地ボランティアには参加せず
地元での支援して頂ければといます。
それも同様に必要だし、大切なことですよね。
行きたい気持ちがあっても
家庭があったり、仕事で現地に行けないという方も
地元での支援がたくさんあります。
ボランティアセンターであれば、支援物資の仕分け
一時避難者支援、ボランティア活動基金
住居の提供やホームステイなどを募集してるし
個人では節電などはもちろんのこと、義援金募金
東北産の商品購入など経済支援、支援物資の提供etc
すごくいい言葉だと思ったので、
過去にも紹介したかもしれないけど書いておきます。
お金がある人は、お金を出せばいい
知恵がある人は、知恵を出せばいい
力がある人は、力を出せばいい
勇気がある人は、勇気を出せばいい
何もない人は、元気を出せばいい
自分を見つめ直して、今何ができるか。
ボランティアを終えて、
自分ができることは何か
50%の出しきってない能力じゃなく
120%の限界を超えた力じゃなく
今のあるがままの私の力でできること
それをを見つけて実行することが大事なんだって再確認しました。
義援金も小額でも毎月送り
今後も無理のない支援、ボランティアに参加したいと思います。
また、現地の方がよくおっしゃるのですが
「ここ(被災地)を忘れないでほしい」
「震災とこの土地を忘れられることが本当に悲しい」
観光地だった場所、何かの名産地だった場所
歴史のある街、活気のあった市場など全てが無くなった。
今後復興に向けて月日がたち
テレビのニュースや募金活動が少なくなって行った時
被災前のその土地も震災も忘れてしまうのではないか。
これが現地の方の言葉です。
私達はボランティア活動や支援をします。
逆を返せばそれしかできません。
現地をいい街にするのは、そこに生活する方々。
その応援を精一杯させていただくので
一緒に、またいい街を作りましょう。
だから皆さんもどうか東日本大震災とともに
被災地のことも忘れないでいただければと思います。
最後に、他のところもそうなのかもしれませんが
陸前高田ではゴールデンウィーク後には
瓦礫の撤収作業が始まってしまいます。
神奈川県ボランティアでは、最後の思い出探し隊が
ゴールデンウィークに陸前高田へ行く予定です。
最後のチャンス、たくさんの思い出を探してきてほしいと思います。
私が作業する地域は陸前高田です。
バスを降りると、自衛隊の車両が停まっていました。
ここを拠点に活動しているようです。
すれ違う隊員に挨拶をしながら
思い出の品が集められた場所へ。
防塵マスクとゴム手袋、
汚れてもいいようにレインウェアを着用し作業開始。
たくさんの品。
写真、卒業証書やアルバム、バッグ、
通帳、貴金属、手帳、位牌、仏像などなど。
泥だらけの写真には子供と楽しそうに写る家族、
新鮮さがうかがえるカップル
幸せそうな結婚式…。
この写真のように、笑顔になって欲しい。
これらが持ち主に戻って、支えにして欲しい。
この持ち主が見つかりますように。
作業中、そんな事ばかり考えていました。
でも、時には心が締め付けられそうになることもあります。
バッグや財布、手帳などは個人を特定できる可能性もあるので
中まで軽く調べるのですが
ちょっと小さめのスポーツバッグを開けたときでした。
中には懐中電灯やバンドエイドなどの応急セット、ラジオ…
防災用にまとめられた物でした。
こんな時のために用意しておいたバッグが
流されてきたと思うと、どうしようもなく切なくなりました。
また、引き出しごと収集された物の中には
たくさんの通帳、実印、
それと小学1年生の子供の通信簿。
でもふと見ると、昭和63年の文字…
子供の思い出として大事に取ってあったんでしょうね。
子を思う親の気持ちをしみじみ感じました。
どうか無事でいて欲しい。
ここに集められてきた品物の持ち主全員
無事でいて欲しい…。
それは叶わないことかもしれないけど
そう思わずにはいられませんでした。
そうしているうちに昼になり
うがい、手洗いをして昼食です。
ほこりのせいで肺炎になることもあるそうなので
うがいは念入りに。
空はキレイに晴れていたので
屋外の芝生の上で持参したおにぎりと野菜ジュース。
このとき余震もあったそうですが
私は歩いていたので気付かず…。
下から一瞬ドンッと突き上げるような感じだったそうです。
その後、コーディネーターさんたちと
小春日和なパーク内を小高い丘まで散歩し
高台から陸前高田を見ました。
あの日テレビで見たアスファルト色の津波が
まるで嘘のように海は穏やかでしたが
やはり沿岸部には何もなく
何か違和感を覚える風景でした。
沿岸部には日本百景で有名だった高田松原があったのですが
これも1本を残し全て流されてしまったそうです。
目を凝らして見ると、ぽつんと1本だけ
立ってる松を見ることができました。
あの津波に耐えた松は、希望の松とも言われてるとか。
これから先、陸前高田の復興を見守ってくれるでしょう。
作業に戻る前に念のためトイレに。
トイレは水が出ないため
水を酌んで流すとのことでした。
どこにでもあるはずの水は、ここでは大変貴重です。
水は現地ボラセンのコーディネーターが用意したものと
自衛隊が用意したものを使用させていただきました。
用を足したら、トイレットペーパーもできるだけ使わず
持参したティッシュを使います。
使用したティッシュは備え付けのビニール袋に入れ
個室の外にある水をペットボトル上部を切った入れ物で
便器に流します。
ここにいると、水を使わせてもらうことが
本当にありがたいというか、
現地の方、自衛隊の方に対して
申し訳ない気分になってしまいました。
その後、作業場所に戻り、再開です。
たくさんの品物を写真、アルバム、貴金属、その他、
個人情報あり、なしなど
泥や水分をできるだけ落としながら分別して行きます。
同じ気持ちで参加した者同士だからでしょうか、
前日初めてあったとは思えないぐらい
自然に、スムーズに作業ができました。
埃まみれで汗だくになりながらも作業を無事終え
バスが来る集合場所へ向かう途中
桜が咲いていました。
集合場所では避難してきているおばあさんたちが
通りすがりに笑顔で
「ありがとう、ありがとう」
小さなことしかできないけど
笑顔が見れて嬉しかった。
こちらこそありがとうございました。
これからも各地からボランティアが来て
復興に向けて協力しますから
一緒に頑張りましょうね。
一人で避難所から出てきた小学5~6年生ぐらいの男の子は
照れくさそうにボランティアと話していました。
「どこから来てくれたの?」と男の子
「横浜だよ、行ったことある?」とか
「このジュースに入ってるサルナシって何?」
「岩手で採れるんだよ。それね、熟してないとえぐいんだぁ」なんて
日常的な会話がそこにはあって
それもとても微笑ましかった。
彼らには、ここにいる今も日常。
それを私達がかわいそうな目で見るのは失礼なこと。
普通の会話をして、普通にさよならして
そうしてバスに乗り込みました。
大船渡では、こことちがい水が使えたので
主に写真の洗浄などを行ったと聞きました。
そこですごい出来事が。
思い出の品から100万円が見つかったそうです。
それは子供の入学準備金でした。
持ち主がわかり、すぐに引き取りに来られて
目の前で受け渡すことができて嬉しかったと
他の参加者が言ってました。
現地を出発し、来た道を戻っていくと
交差点でこのようなものを見かけました。
流された瓦礫の中で、誰かが見つけて置いたのでしょうね。
海の方向を向いていました。
途中、作業する予定だった沿岸部に降り立つことになりました。
夕暮れ時も重なって、なんとも淋しい気持ちに。
アスファルトが捲れた原因は
地震なのか、津波なのかもわかりません。
一部新たに側溝が作られていました。
そこかしこで津波が持ってきた砂もたくさん残っていました。
自分の足で歩く沿岸部は本当に静かだった。
夜になったらきっと真っ暗なんだろうな・・・。
自分を中心に見渡す限り目に入るのは瓦礫と砂地と水たまり。
周りにクルマも人もいなくて、
日本に私達だけしかいないような錯覚を起こしそうになります。
数分間、ここで亡くなった方へのご冥福を祈り
バスに乗り込みました。
バスは海から徐々に離れていき
川沿いを内陸に向かいます。
だいぶ海から離れたのにも関わらず
こんな光景があるんです。
トタンの屋根、クルマ、曲がった線路、木片…。
津波で流れてきたままの状態が随分と続いていました。
最後に、瓦礫が少なくなってきたころに見えた、力強く咲く立派な桜。
こうして私のボランティア活動は終わりました。
今回、目をそむけたくなるような風景を見て、
なんだか少しだけ強くなった気がしました。
もちろん現地の方に比べたら足元にも及ばないけど。
この陸前高田の人たちは
もっと過酷な経験をして、今でも苦しい思いをしてる。
だから私なんかよりももっと強い。
現地の方を数人お見かけし、そう思いました。
ボランティアに初めて参加し
一緒に参加した方、コーディネーターの方に助けられ
途中心が折れかけたりもしましたが
こうしてブログで応援してくださった皆様の気持ちに支えられ
無事作業を終えることができました。
一人の駆け出しボランティアとして
こういう気持ちになることが少しでも伝えられれば幸いです。
参加してみて感じたのは、
みんな個々の思いなんて語らなくても
不思議と気持ちが繋がってる感覚があったこと。
こうして縁あって行った初めての岩手・陸前高田。
これから復興に向かい、変化していく間も
復興と言える状況になった後も
私は陸前高田と、支援をしている遠野に行きたいと思います。
そしてこの光景と気持ち、経験
さらには防災へ意識を忘れずにいたいと思います。
長くなってしまいましたが
最後まで読んでいただきありがとうございました。