小さい頃から子供たちを競争環境にさらすのはよくない、

という発想から徒競走では手をつないでみんな一緒にゴールとか、

学芸会で主役の子が複数いたりとか、

子供たちへのケアを考えた策が台頭してきた。

 

様々ないじめやハラスメントにさらされながら

根性(grit)で時代をたくましく生き抜いてきた

ザ・昭和の女からしてみると、

なんだそれ?と思ってしまうところもあるが、

老若男女問わず、人の心に寄り添う

eco-friendly ならぬ人にやさしい、

people-friendlyな時代になったことは

良いことだ。大歓迎。

 

それを踏まえて一緒に考えてもらいたいことがある。

 

学校からいつも様々な的確な指示を受けるが、

「成績が良い子供達を褒めてあげてください」というのは

皆さん違和感はないものだろうか。

 

子供達を褒めることはとても大切なこと。

英語のレッスン中はなるべく子供達を褒めるよう心がけている。

 

私は新米の英語講師だし(歳はかなりいっているが)、

小学生を教える経験がないため、

学校側を信じてどの指示に対しても

その通りに従っているが、

成績の悪かった子たちのことを考えてしまうせいか、

わざわざ成績の良かった子だけを褒めるこの指示には抵抗がある。

 

というのも

英語の場合は特に「読む」、「書く」、「聞く」、「話す」と

大きく分けてこの4つの技能を磨き上げていく必要があるから。

テストの成績がよくてもそれは「読む」と「書く」という技能しか

評価されておらず、「聞く」「話す」は一切加味されていない。

そこに問題を感じてしまうのだ。

「読む」「書く」でたとえ満点を取っていても

「聞く」「話す」ができていなければ英語ができるとは

言えない。

「聞く」「話す」のテストも「読む」「書く」と同じ頻度で

やっていかないと結局読み書きのみの点を取るための

英語の勉強になってしまう。これでは英語を楽しむことはできない。

 

英語の総合力が10だとしたら、

「聞く」「話す」は7割、「読む」「書く」は3割という

配分で力を入れたいところだ。

「聞く」「話す」を伸ばすことで「読む」「書く」は向上するが、

逆は必ずしも同じ効果は得られない。

 

余談だが、

私はアメリカの公立小学校に通っていた。

その小学校には自閉症や障害を持つ子供の特別学級もあったが、

一握りの優等生のみが入ることが認められる特別学級があった。

 

その優等生クラスに私は小学校4年生から5年生に

上がる時に入った。

別に入ろうと狙っていたわけでもなく、

狙ったところで入れないクラスだ。

いつもテストは50点(100点満点中)でペーパー上の私の成績は

決してよくなかった。

一握りの生徒しか入れない優等生クラスに私が入れたのは

日本の学校の考え方では不思議な話であろう。

 

ではなぜ。なぜ私は入れたのか。

 

それはクラスの中で一番よく発言をしていたから。

自分の言っていることが間違っていようが

かまわず、私は機会あるごとに堂々と発言をしていた。

(今の私からは考えられない)

 

決して正しいことを言っているわけではないが

私の発言によって他の子供たちが考えるきっかけになったり、

私が間違えたことを言ったことによって

他の生徒たちに気づきを与えることができ、

私はクラスに貢献をしていたのだ。

(まったく意識していなかったけど)

 

クラスでは学級委員長(Class President)に選ばれ、

みんなの統率を取っていた。

(再度念のため書くが、決して頭が良かったわけではない)

 

また、こんなこともあった。

生徒が全員集まった会場(auditorium)で

技術的な問題が発生したのか何かで

開始時間が遅くなりそうな時は

会場にあったピアノを見つけて

時間を埋めるために自分の下手くそなピアノを

数百人に聞かせたこともあった。

(アハハ😁今思うと恥ずかしすぎて笑ってしまう)

 

つまり言いたいことはテストの結果だけでは

その生徒の能力、ポテンシャルの半分もわからない。

50点しか取れないとその程度の学力と

思いこんでしまうところを

優等生学級に入ったことで

私の自信につながった。

(子供の頃の自信は大切!)

 

大人になってからよく外国人から

聞くことがある。

日本人は点を取るのがうまいが、

あまり発言をせずにおとなしいと。

 

テスト満点取ったとしても

その人の能力を語る上では

重きを置いてしまってはいけないことを

意識することは重要だと思う。

 

一人一人が持っている

考えや意見、行動が重要視される教育。

そんな教育がもっと広がるといいな。

 

話が大きく逸れてしまったが、

だから

成績が良かった子を褒めてあげて下さいという

学校から指示されてしまうことに

私はどうしても抵抗があるのだ。