今朝、地震警報が鳴った。

夫がリビングに置いているipadからだろうか、

私のドコモのスマホからも会社のiphoneからも

これまでにない音量と響きで家の

方々から聞こえてきた。

 

「わ〜、まただ。どうせ大して揺れないのにこの

大袈裟な警報はなんだ。心臓に悪い、むかつく。」

 

これが私の第一声の心の声。引き続きパソコンに向かって

仕事を続けていたところ、部屋から飛び出てきた夫が

 

「これは大きいぞ!すごい鳴った!」

「いやー、また大したことないよ。いよいよこの警報も

オオカミ少年みたいになってきた。むかつく。」と私。

 

外では町内放送まで流れて、校庭で遊んでいた子供達の

動きもピタッと止まったかのように静かになった。

みんな息を止めて大きな揺れが来るのを覚悟するかのように。

 

「ほら、全然ゆれていなじゃない。もう〜。この警報は肝心な時に

鳴らなくて大したことない時に大袈裟になるのでもうホントに嫌だ。

前もそうだったこれで何回目よ?」

と私は仕事を邪魔されたことに苛立つ。

 

「いや、実際に地震が発生しているんだよ。ほら、見てごらん。」

と夫はiphoneで千葉沖で地震が発生していることを示す地図を

私に差し出す。

 

「ほら、沖じゃん。家は1ミリも揺れていないよ。この警報いい加減にして欲しい。」

と返すと、

「おまえみたいなのが逃げ遅れるんだ。」と夫は呆れる。

「そうだよ。そしてあなたが助けなきゃいけないハメになるんだよ。」

と私が言って、夫は爆笑し、会話が終わった。

 

もっと精度の高い警報を作れないものなのかと

この警報システムを開発している見知らぬ実体に対して

私の批判は止まらない。間接的ではあるが政府を批判したいのかもしれない。

 

私に同調する人はいないのか、yahooのリアルタイムで

検索をしてみたところ、私はひどく反省することとなった。

 

「誤報で良かった。」「揺れなくて良かった。」「大したことなくて良かった。」

 

そんなコメントがほとんどである。

クー。警報に対して苛立つ人は1人もいない。みんな私より器の広い人達だ。

 

昔、黒ラベルのコマーシャルがあったのを思い出した。

 

雨がザーザーと降る中、男の人が女の人にお金を渡しているシーンから始まり、

その後、その男の人が友人とバーで飲んでいるシーンに切り替わる。

「おまえ、騙されたな。あの人に病気の子供なんていないよ。」と友人。

すると男は

「よかった。病気の子供がいないんだ。」

と噛み締めるかのようにつぶやく。

 

今朝の警報の反応一つで人間性が垣間見えてしまう。

「誤報で良かった。揺れなくて良かった。みんなに影響がなくて良かった。」

と考えられる人間になりたいものだ。