生きることは、素晴らしい
ある日ゼミオケで、スメタナ作曲の、連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」を演奏して以来すっかりハマってしまった僕ですが、ある日図書館で見つけたLDを、涙なしには観られなかったわけです
「名指揮者のリハーサル」というシリーズのLDで、カルロス・クライバーなど名だたる名指揮者のリハーサル風景と本番が映像で残されていました。
その中に、指揮者の名前は忘れてしまったのですが、モルダウを見つけた僕は思わずLDを手に取って再生してみました。
1960年の録画でした。その指揮者は、癌によって幾度も手術を余儀なくされ、しかし彼の生への執着心によって指揮台へと復帰したのでした。
何度も手術を行った彼の身体は確実に蝕まれ、本番当日の朝まで体調不良が続き、中止にするか否か迷っていたそうです。
しかし彼は録画を結構します。自分の生きた証を残すため…ではないかと思われます。
ある程度リハーサルが進んで、曲の序奏部分が完成間近になった時、彼は何気なくこんなことを言いました。
「大分皆さんと僕の音楽が同じになってきましたね。ただ、僕たちがもっと素晴らしい音楽を共に楽しむ為には、まだ一つ大切なことが足りません。」
「初めのFluteはモルダウの源流の小さな流れを、Violinのピッツィカートは源流に滴る水滴を表現していますね?」
「そう、モルダウはまだ生まれたばかりなのです。物憂げに演奏するには、ここはまだ若すぎる。」
「この曲のこの部分は、そう、生きる喜びに満ち溢れている。まるで生まれたばかりの子供が、生を楽しみはしゃぎまわるかのようだ。」
「そう、生きることは本当に素晴らしい。」
なんというか、音楽とはきっとそういう物なのです。
様々な作曲家が、生涯の中で感じた喜びや悲しみ、怒りや憎しみ、愛情や絶望などを、音を通じて語っています。
つまりは、音楽とは作曲家の生そのものなのではないでしょうか。
もちろんそうでない音楽もありますが…。
どんな感情も、生きていないと感じられなくて。それら全てが生きていることの証。
音楽をすることが、生に繋がる人生でありたいと思います。

「名指揮者のリハーサル」というシリーズのLDで、カルロス・クライバーなど名だたる名指揮者のリハーサル風景と本番が映像で残されていました。
その中に、指揮者の名前は忘れてしまったのですが、モルダウを見つけた僕は思わずLDを手に取って再生してみました。
1960年の録画でした。その指揮者は、癌によって幾度も手術を余儀なくされ、しかし彼の生への執着心によって指揮台へと復帰したのでした。
何度も手術を行った彼の身体は確実に蝕まれ、本番当日の朝まで体調不良が続き、中止にするか否か迷っていたそうです。
しかし彼は録画を結構します。自分の生きた証を残すため…ではないかと思われます。
ある程度リハーサルが進んで、曲の序奏部分が完成間近になった時、彼は何気なくこんなことを言いました。
「大分皆さんと僕の音楽が同じになってきましたね。ただ、僕たちがもっと素晴らしい音楽を共に楽しむ為には、まだ一つ大切なことが足りません。」
「初めのFluteはモルダウの源流の小さな流れを、Violinのピッツィカートは源流に滴る水滴を表現していますね?」
「そう、モルダウはまだ生まれたばかりなのです。物憂げに演奏するには、ここはまだ若すぎる。」
「この曲のこの部分は、そう、生きる喜びに満ち溢れている。まるで生まれたばかりの子供が、生を楽しみはしゃぎまわるかのようだ。」
「そう、生きることは本当に素晴らしい。」
なんというか、音楽とはきっとそういう物なのです。
様々な作曲家が、生涯の中で感じた喜びや悲しみ、怒りや憎しみ、愛情や絶望などを、音を通じて語っています。
つまりは、音楽とは作曲家の生そのものなのではないでしょうか。
もちろんそうでない音楽もありますが…。
どんな感情も、生きていないと感じられなくて。それら全てが生きていることの証。
音楽をすることが、生に繋がる人生でありたいと思います。