SNSに溢れる「占います!」というアカウントを見ていて、ずっとモヤモヤしていた違和感の正体が、AIとの議論の末に完璧に言語化できたので共有したい。
そもそも、SNSの占いって「超絶暇ポジティブなかまってちゃん行為」の究極系だと思う。
占う方は「占います!」と言ってフォロワーの個人情報(らしきもの)を集める。言っている中身なんて、言葉を選べばいくらでもそれっぽく聞こえる「実体のないもの」だ。
占われる方も、少しでも良い結果や正解を引くために、特定されない範囲の情報をバンバン自ら差し出してしまう。
占われる方も、少しでも良い結果や正解を引くために、特定されない範囲の情報をバンバン自ら差し出してしまう。
客観的に見れば奇妙な光景だけど、お互いに「他人が必要(かまってほしい)」というニーズが綺麗にマッチングしているから、エンタメとしてはこれで成立している。
ここで一つ疑問が湧いた。
「そんなに当たるなら、今なら台風の進路とか、大勢の人の役に立つことを占って教えてくれればいいのに」と。
「そんなに当たるなら、今なら台風の進路とか、大勢の人の役に立つことを占って教えてくれればいいのに」と。
だが、占い師は絶対にそれをやらない。なぜなら「台風の進路」は数日後に100%の正解合わせ(検証)ができてしまうからだ。外れたら一瞬で商売上がったりになる。だから彼らは、絶対に嘘だと証明されない「あなたの前世」や「来年の恋愛運」しか扱わない。リスクが高すぎるのだ。
じゃあ、実在するか分からない「UMA(未確認生物)」の居場所を占うのはどうだ?
「ツチノコを占いで見つけて捕獲しました!」となれば、懸賞金も入るし、誰も傷つかないし、全員ハッピーで大儲けのはず。
「ツチノコを占いで見つけて捕獲しました!」となれば、懸賞金も入るし、誰も傷つかないし、全員ハッピーで大儲けのはず。
それでも占い師が山にツチノコを探しに行かない理由。ここに占いの「生存戦略」の真髄があった。
彼らは「言葉のプロ」であって「探検家」ではない。スマホ一台、自宅から一歩も動かずに金をもらうのが彼らのビジネスモデルだ。わざわざ泥にまみれてリスクを冒すメリットがない。
それに、ツチノコの魅力は「いるかもしれないし、いないかもしれない」というロマン(不確実性)にある。
実は、占い師にとっての「ツチノコ」とは、山奥にいる生物のことではない。SNS上に無限に転がっている「かまってほしくて、実体のないファンタジーにすがりたいお客さん」そのものなのだ。
実は、占い師にとっての「ツチノコ」とは、山奥にいる生物のことではない。SNS上に無限に転がっている「かまってほしくて、実体のないファンタジーにすがりたいお客さん」そのものなのだ。
彼らにとっての「捕獲」とは、ネット上で自分を信じてくれるファンを捕まえて、自分のコミュニティに囲い込むこと。一歩も動かずに、画面の向こうの寂しい人を言葉巧みに誘導する方が、よっぽど「確実に実在して、金になるUMA」を捕まえていると言える。
ここで一つの美しいロジックが完成する。
- ツチノコ(UMA): 見つからない(実体がない)ことにこそ物語や価値がある。
- 占い師: 自分は動かず、実体を伴わない言葉だけで相手を満足させる。
実体がないファンタジーを売ることで成立しているという点で、両者の共通点は多すぎる。
つまり、「占い(占い師)」とは、SNSという現代の深いジャングルに生息し、人々の孤独を養分にして増殖する「実在するUMAそのもの」だった。
Q.E.D. ―証明終了―。