あと一回、「毒抜き」をさせていただきます。

前回の記事でも申し上げたように私はいま仕事をしておりません。いわゆる「ニート」というやつです(本当にニートなのかどうか問題は置いておきます)。そこで、今のような状況になった経緯を語らせていただこうかと思います。

実は仕事は去年の9月からしていません。8月に入ったあたりから配置転換に伴う新しい業務の引継ぎで仕事のミスが多くなったことや、自動車で事故を起こしてしまうなど、個人的な事情も重なり、すっかり私は精神的に参ってしまっていました。
そんな様子を見かねた上司は私を呼び出し、個別に話しをする時間をくださいました。
しかし、そういったフォローも効果はなく、ある日業務を終えた私は通勤で使っていた代車を道の途中に駐車し、とりあえず翌日の業務についてお休みをいただくことを電話で申し出てしまいました。翌日の休みの日、今度は上司から電話があり、「会社の保健師さんと話してみないか」ということで職場とは別にある健康相談室に向かいました。そして、保健師さんと話しをした結果、実家に帰って休養することを勧められました。
自分で物事を考える力をなくしていた私は、易きに流れるようにその言葉に従い、実家へ戻ることを決めました。実家に帰った私を両親は何も言わず迎えてくれました。特に母親とは仕事がうまくいかなくなり始めた時期から頻繁に連絡を取っていましたので、事情を理解してもらうことができたのだと思います。ちょうど9月になったくらいのことでした。

毎日出勤していたときも大変でしたが、実家に戻ってからも大変でした。学生時代に通っていた心療内科にまた行くようになりました。タイミングが悪く、会社の保健師の先生は9月をもって退職し、新しいカウンセラーさんと連絡を取るようになりました。正直、休み始めてからの2か月ほどについてあまり記憶はありません。ただ、就職するときには自分なりの希望を胸に旅立ったはずの地元にこうして戻ってきている、そしてまるで動かし方を忘れてしまったかのように身体が重く、ずっと布団の中にいる。そんな状態がとても恥ずかしく、情けなかったことは覚えています。
しかし、いつまでもそうしているわけにもいかず、また少しずつ気力も取り戻してきた私は少しずつ外出をするようになりました。ウィンドウショッピングや高校卒業以来7年近く離れていたバスケットもぼちぼちするようにもなりました。特にバスケットはブランクが大きかったこともあり、最初は全くもってうまくいきませんでしたが、うまくいかない自分に悔しさを感じることができるくらいには心身共に回復していました。しかし、すぐに状況が好転するほどは甘くありません。

いきなり職場復帰をする自信はなかったので、私は復職支援のプログラム(リワーク)を受けてみようと思いました。しかし、会社の寮に住民票は置いたままだったため、地元では受けることのできるサービスに制限がありました。それでも何もしないで引きこもっているよりはいいかと思って通った事業所でしたが、やはり私の病状(?)にフィットするものではありませんでした。その事業所の職員に不信感を抱いてしまうような出来事もあり、1か月ほどで私はそこに通わなくなってしまいました。
それではと、会社の寮に戻って復職支援を受けることも考え、いろいろと動いてみました。ある事業所ではしっかりとしたプログラムが組んであり、また利用料もしっかり取るというところに逆に魅力を感じました。「これもありだな」などと考えていたころには、もう4月になっていました。そして私が以前の会社を辞める直接的なきっかけとなる出来事があったのも、今年の4月の末でした。

ある日の夜、夕食を終えて少しした後、リビングに戻り母親とTVを見ていました。あまり好きではない芸人さんが出ていたことを覚えています。そこで、一旦私の記憶は完全になくなってしまいました。気を失ってしまったのです。
気が付くと私はリビングに横たわっていました。TVを見ながらいきなり立ち上がったかと思うと、いきなり気を失い倒れた私はてんかんのような痙攣を起こしたそうです。倒れこむ私を何とか受け止めた母親はちょうど帰宅した父親の手を借りながら、介抱をし、救急車を呼んでくれました。
救急車が来る頃には意識を取り戻したのですが、何が起こったのかすぐに理解することはできません。救急隊の職員に担架で救急車へと運んでもらい、救急車で近くの病院へ連れて行ってもらいました。病院では脳のCTやMRIなど緊急的な検査ののち、その日はタクシーで帰宅しました。
帰りの車中でも頭はぼんやりとしたままでしたが、不謹慎にも私は子供のころに流行ったコンビ芸人のネタを思い出してしまいました。コンビの片方がネタが始まると緊張して立ったまま気絶してしまい、その相方を助けるためにもう片方がなぜか「あるあるネタ」をリズムに合わせて言っていくというものです。まさか自分が気絶するとは。

翌日、検査では脳に異常が全く見られなかったことから、首の血管や脳波なども念入りに調べてもらいました。結果はいたって健康な状態。こうなるとやはり心因性のものであろうというのが外科的な診察でした(その後、心療内科の先生に話したところ、ストレスが原因でこのようなことが起こることは十分あり得るとのことです)。

このことが会社を休んでいる状況から、正式に退職をすることを決めるきっかけとなりました。退職を決めたことを親やかかりつけの先生に伝えるときに言ったのは「悪く言えば心が折れた。よく言えばいいきっかけになった」。
気絶するほどストレスを抱えた状態で、また会社に戻ることはとうてい無理だろうと考えたのです。外科の先生にははっきりと「こういう症状が出た人には、車の運転はOKとはいえない」と言われてしまいましたし、私が勤めていたのは地方都市だったので車の運転は必須でしたから、現実的にも不可能に近かったということなのだと思います

ご存知の方も多いかと思いますが、退職を決めてから実際に辞めるまでの手続きって結構面倒なんです。正式に会社から籍が離れたのは7月末のことです。それまで、私はリワークに参加することも、アルバイトから慣らすということもできませんでした。その間、「お仕事は?」という何気ない会話にしどろもどろ。

うーむ、おまけ程度のつもりで書き始めたのですがいつものNBAの記事より長くなってしまいました。今日はこれくらいにしておいて(じゃあまだ書き足りないのか?、はいそうです)、次はお気楽なタイトルで一本書こうかなと思っております。

というわけで、次回予告
「うちのセフォローシャが元気ない」
乞うご期待。


Timo