少しばかり今現在の状況をば。先週からやっとリワークに参加し始めました。とはいえ一昨日と昨日は行けず、出先からいきなり躓いているのですが

でもなぁ~、おかしいよなぁ。申請したの8月の末なんだけれど、なんで今まで通えなかったのかなぁ。ま、公費負担の部分があったりなどかなりリジッドなプログラムのようなので、そこら辺の手続きに事業所・役所ともに時間がかかったのでしょうけれど。

そもそも私がこんな風にフワッとした理解だからいけないんだろな。

 

さて、本題。「社会人」という言葉について。そして「責任」という言葉について。

私は新卒で入社したため、学生からいきなり「社会人」になりました。『学生と社会人の違い』などというのは就職活動中からセミナーや入社試験でのグループ・ディスカッション、さらには新人研修などでもたびたびテーマに挙がります。その際、よくある意見が「学生はお金を払う側、社会人はお金をもらう側」、「学生は責任がまだ小さくて、社会人はとても大きな責任を負う」といったところでしょうか。

 

 

私が入社した会社は大きなグループ企業の本社でした。そして職種は総合職。当時メンターとしてついてくださった先輩からは常々「本社の総合職は注目されるからな」と声を掛けてもらっていました。実際どうだったのか、今となっては判断しかねますが身の丈に合っていない学歴も持ってしまっていた私は、やはりいい意味でも悪い意味でも注目され、「浮いていた」のだと思います。―念のため、そのことが仕事においてどのように影響し、私の体調にどのように影響したのかということは想像はできても因果関係をはっきりさせることは不可能だし、そのつもりもないことは明記しておきます。

 

当時感じていたのは、とにかく「すべてが歪で、身の丈に合っていない」という感覚。能力があるかないか分からないのに沢山の人を動かすポジションにいる。お給料もこんなにもらっていいのかと恐縮するくらい貰っている。その分、叱られたり怒られたりすることも多い。それら、特にお金に関しては先行投資的な部分があることは分かっている(一応、商学部でしたから)。でもしっかりとリターンをもたらすことが出来るのか、自信と周りへの信頼感はなくなっていくばかり。いやいや、今はそんな難しいことは考えずにただ一日一日をこなしていく時期。就職活動や新人研修で掛けられた言葉を思い出しながら、私はそう考えていました。

 

結局、与えられた仕事とそれに伴う責任に私の能力が見合っていなかったということなのでしょうか。

 

 

うーん、話しがまとまらないなぁ。先ほど挙げた『学生と社会人の違い』に戻りましょうか。本当に「学生はお金を払う側で、社会人はお金をもらう側」なのでしょうか。

学生だってアルバイトして学費の足しにしている人はいます。ちょっと違うのかもしれませんが、奨学金をもらうため逆にアルバイトはせず学業に専念する人もいます。社会人にだって、お金を払って習い事をしている人や、専門学校に通って資格取得を目指している人もいます。

「学生は責任がまだ小さくて、社会人はとても大きな責任を負う」。これもどうでしょうか。社会人が責任が大きいことは紛れもない事実でしょう。しかし、学生は果たして責任が小さいのでしょうか。SNS等で情報が即座に拡散していく今となっては、学生時代の不祥事などはその人の今後の人生において致命的なダメージとなります。就職活動に響くことはもちろん、学校内でもゼミに入れなかったりといったことがあるでしょう。それこそ「社会的」なダメージです。学生にだって責任はあるし、その責任は決して小さいとはいえないのです。

 

そもそも「社会人」って何でしょうか。改めて考えてみると、分からないものですね。それに対応しているはずの「学生」という言葉もイメージが先行していて、なんだかあいまいな言葉です。ここはひとつ、広い心で「社会に参加している人」と考えてほしいのが私の甘えた考えです。そうなると、学生だって立派な社会人ということになってしまいますが。

 

バイトをしている人は小銭稼ぎという形で社会に参加しているし、授業に出ているのだって社会への参加です。まじめな学生でしたら論文の一つや二つ出すことで社会に参加・貢献しています。こうなると、「学生と社会人」という構図は少し的外れなのかもしれませんね。少なくとも、高校や大学を卒業して会社などに勤め始めたら社会人で、それはそれはとても大きな変化なのだ。というわけではないんじゃないのかな、というのが私の考えです。

 

では、なぜ「学生と社会人」などという話題が出るのでしょうか。ここからはさらに私の憶測ですが、おそらく今現在も普通にご活躍されている「社会人」の方々もこのモヤモヤを抱えているのではないでしょうか。仕事の話しになると「いやぁ~、きついわぁ~。もう働きたくない。今の職場辞めたい」などという話題になることが多いです。

責任を持っていて、それに付随する自由や能力が十分にあるのですから、そんな不平不満を言うのではなくより良い職場へ転職するか、頑張って今の職場を理想に近づける努力をすればいいのにな、とか馬鹿まじめな私は思ってしまいます。(口には出しませんが多分表情に出ている...。)

それをせずにいるのには人それぞれ理由があるのでしょうが、その姿は「『勉強したくない~、全然成績伸びない~』とただ嘆いている学生達」とほぼ同じように見えることがあります。やっぱり学生と社会人ってあまり変わらないのかもしれません。

 

そうではないことを確認したいから、そうであってはならないから、「学生と社会人の違い」などと仰々しく議論することになっているのでないでしょうか。いわば社会人になったことを自覚するため、させるための通過儀礼として。そのことがいいように効果していることも多いのでしょうが、なんだか悪い効果も多い気がします。

 

「もう社会人だから、親の世話にはならずに自分で自立して生きていくんだ」というようになれば仕事への心持ちも変わってくるでしょうし、単純に親御さんの負担が減るという意味では大変な親孝行です。しかし、「俺はこんなに頑張ってんだぞ。社会人だからこれくらいやって当然だ。ん?どうしたお前?、社会人としてなっとらんぞ(←職場でも取引先でも、ごはん屋さんの店員さん相手でもいいです)」となってしまっては、社会人という責任を肩書きとして振り回している横暴な人間です。

 

そんなふうには絶対なりたくないなぁ。どうせ学生と社会人でそんなに違わないのなら、一生学生でありたいなぁ。

何かを学習して、できるようになる、賢くなる(なった気になる)のってとても楽しいから。バスケットも資格の勉強も、今はそんな気持ちでやっています。

でも、どちらもタダじゃないから、生きているだけでもお金は掛かるから、将来結婚して子供もできるかもしれないから、お金稼ぎはしないとな。そんな気持ちでリワークに通い始めました。

 

 

次回予告、

NBA選手名鑑がけっこう面白い

or

Bリーグのイケメン外国人たち

 

ご希望があればお答えしたいと思います。

 

 

Timo