きっと来る -574ページ目

子供はわかります

私が小さい頃に亡くなってしまったから、記憶もあまりないんですが…
西条の叔父さんは、多分、明治でも初期の人だから、女性蔑視なはずなのに、うちの父親と再婚した母親には優しくて、いつも西条に行ったら、母親に、これ持ってかんかいな~って、栗とか芋とか、何かしら食べ物くれてました。
私たち子供には、帰りに、ペロペロキャンディを~f(^_^;)いったいどこから?
不思議でしたが、西条市市街地はそんな遠くはないので、車で買いに行ったのかと…
それでも30分はかかるから、母親はいつも、こんなにしてもらわなくてもいいですよ~って言ってました。
私らは子供だから、わあい!ありがとう!みたいに群がってましたが…(笑)
西条の叔父は、他の叔父さんたちより無欲で、父親が頼るのがわかりました。
ただ、無欲だと、貧乏にはなるので…
他の叔父さんたちは、欲がいっぱいだから、生活は裕福で、隙あらば…って感じが子供ながらに見えてて…
だからかな~余計に、愛媛県でも、松山が一番いいけど、遊びに行くのは松山の叔父さんのとこじゃなくて田舎の西条の叔父さんんとこ!って。(笑)
子供はわかるもん。
誰がいい人かなんて、お金じゃないですもん。

栗の木の思い出

とあるブロガーさんの栗の花を載せてた記事をみて、四国の山間にあった叔父の家を思い出しました。
四国の西条市という地域になりますが、市街地ではなく、石鎚山に行く途中にある山間部にある家です。山のなかなんで、道路と川と山林しかないところにあり、家のわきに栗の木がありました。今の季節は花が満開で、秋には栗拾いができて。
叔父は父親の10歳くらい離れた兄みたいで。父親は末っ子らしく、一番年上の兄を慕ってて。
私が子供の頃によく連れて行かれたのが、その西条市の叔父の家でした。
うちからかなり離れてる田舎ですが、父親にしたら、大好きなお兄ちゃんがいるから遊びに行くって感じだったような気がします。
私にしてみたら、父親でさえ、60歳も離れてるから、叔父さんはもっと…もう、オジイチャンでした(笑)でも、私たち子供が遊びに行くと、秋には、一緒に栗拾いをしてくれました。
栗のイガイガに気を付けて、足で踏んで、こうやって取るといいけんな~って取り方を見せてくれたり、栗の焼き方を教えてくれたり。
一番印象にあるのは、父親が、素顔になってお兄ちゃんに嬉しそうに話してることでした。
私はまだ小さいから話はわからなかったけど、お兄ちゃんに話す父親は、いつもの父親よりちょっとだけ子供が話すみたいで。
父親の拠り所だったのかな~と。
父親には他にも兄弟姉妹はいるんですが、いつもよそよそしい感じがしてました。財産目当てがあったのかも…
でも、西条の叔父さんは、あんな田舎に住んでて、自分からうちの島に来たことはありませんでした。来たことあるのは、父親が無理矢理招待して、一泊させたくらいなくらい、無欲でホントの田舎の老人でした。話し方も穏やかで、他の叔父さん叔母さんとは比べ物にならないくらい、無欲で穏やかで。
西条の家の栗の木は、もうないです。
叔父さんが亡くなり、家が取り壊され、土地開発のために栗の木も伐採され。
叔父さんの子供は西条市のど真ん中で、都会的に生活してますが…
なんか…私も同じようなことをずっとやってきたのかな~と。
都会に住んでて、それでアクセクしてて。
今更、西条の叔父さんの家を取り戻すつもりはないですが、せめて実家の近くには移住したいと思います。

昨日の写真

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ブログで書いたのに、写真添付してなかったので…(笑)