広島からじゃけぇ -2ページ目

広島からじゃけぇ

Photo by Lucania

火葬場に着いてから

亡き孫は 父親の手で棺に入れられました

 

小さな棺でしたが

長さは 孫の身長の2倍はありました

 

 

 

通っていた保育園の先生方がご参列くださり 七夕飾りを供えてくださいました

 

メッセージを書いた短冊を数枚 付けてくださってました

 

全部その場で 読ませていただきましたが 

それぞれ どんな思いで書いてくださったのかと思うと

ありがたさで 涙がにじみました

 

 

 

であえて嬉しかったよ

わすれないよ

 

 

 

いっぱい だっこさせてくれて ありがとう

わすれないよ

 

 

 

保育園の先生の視点だと こういう言葉になるんですね

 

 

わすれないよ

誰かが忘れない 誰かが覚えているうちは その人は死んでいない という私の死生観とリンクしていました

 

数日前 5才の孫にも話していましたし

前夜 娘夫婦にも話しました

この後の 遺族代表の挨拶でも話しました

 

 

 

 

 

 

時間になり 火葬炉へ移動するため 棺を台車にのせました

 

5才の長男にも手伝わせました

 

小さな棺でしたが 思った以上に重かったです

 

 

 

火葬炉に着き 火葬炉の扉が開かれました

 

火葬炉の奥は 漆黒の暗闇です

 

あそこで 一人 焼かれるのか

 

 

 

待ち時間は30~40分との説明でした

 

大人の火葬の1/3の時間です

 

 

 

待合室に入ると すぐ 5才の孫が テーブルに突っ伏して泣き始めました

 

悲しさと怖さで いっぱいになったのでしょう

 

私たち大人は 火葬炉のことで頭がいっぱいで ただただ動けず 沈黙していましたが 

誰かが 泣いている孫を連れ出していました

 

 

 

 

 

 

この日の夜から みんな 次々と体調を崩しました

 

一人は 5日ほど入院しました

 

 

 

 

 

 

5才の孫は ずっと保育園を休ませていました

 

心身への不安もあり 気分転換もかねて

火葬の2日後 元々通っているスポーツクラブに 私と娘が連れていきました

 

1時間あるのですが 30分で動けなくなり 休憩場所で座っていました

 

そうなってしまった原因は明らかでしたが それについては 娘も私も先生には言いませんでした

 

 

 

その翌日 私は 広島に帰りました

 

しかし 心身の不調により 数日 職場復帰できませんでした

出勤しても 2時間くらいで帰りました

かなり しんどくて それ以上は とても無理でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘夫婦が供えた花です

 

 

 

 

 

 

火葬の朝

 

遺髪を皆で切ることになり 私も娘婿から呼ばれました

 

 

 

帽子を取ったので来てください

 

 

 

 

 

 

リビングに行くと 白いニット帽が取られ 孫の頭の上側にありました

 

近づいてから はっと気づきました

 

 

 

白いニット帽の内側に 血痕があります

 

 

 

これはどうしたことかと のぞき込みました

 

 

 

孫の頭頂部から 左右に一直線

 

司法解剖で 切開され 縫合された 生々しい痕が はっきり見えました

 

 

 

だから・・・ 帽子が かぶせてあったのか

 

 

 

痛ましい姿に 打ちのめされ  息が止まりました

 

 

 

その場に居た誰もが そのことを話題にはできませんでした

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

私にとって 他のことは 仕事も含め 全てが どうでもよいことになってしまいました

 

私は 家族だけ見つめていました

 

 

 

 

 

自宅から救急搬送されたため 法令に則り 遺体は司法解剖されることになりました

 

司法解剖は 救急搬送の翌日でした

 

司法解剖の結果が出るまでは いたたまれない時間でした

 

おそらく「突然死」なのだろうけど 思いもかけない結果を告知されるかもしれません

 

 

 

 

 

司法解剖後 遺体はその日の内に自宅へ戻されました

 

私は 5才の孫を連れて外出していたので 遺体が自宅に帰ってきていることを知りませんでした

 

帰ってくるのは明日ぐらいかなと思ってました

 

玄関を上がり リビングに入ると 亡き孫が寝かされているのが目に入り 驚きました

 

私にとっては 3ヶ月ぶりの対面でした

 

眠っているように穏やかで 肌つやもよく 綺麗な顔です

 

しかし 小さな白い布団を掛けられ 頭には白いニット帽が被せられています

 

もう 息をしていない

 

もう 目を開くこともない

 

なんで・・・

 

周囲に誰もいなかったら 私はその場に突っ伏したでしょう

 

感情をおさえることができなくなった私は そっと家を出ました

 

 

 

 

 

 

※司法解剖が行われた病院からの封書

「乳幼児突然死症候群」でした

 

 

 

 

 

亡き赤児の母親である 私の娘は数日 何も食べませんでした

 

憔悴した表情でした

 

心配でしたが 何か食べたらどうか とは言えませんでした

 

 

 

 

 

父親は 遺体が帰宅した日の夜 亡き赤児のそばで寝ました

 

火葬は数日後のため 遺体には保冷が必要でした

 

遺体を安置したリビングは 強い冷房と保冷剤のため冷え切っていました

 

心配でしたが 他の部屋で寝たらどうか とは言えませんでした