サロンでは

新メニューを考えたり

やり方を変えたりして

試行錯誤を重ねていた日々

でしたが

 

 

 

一方

家庭の方は

 

相方と

マンションの

隣同士のお部屋に

住むようになってから

 

 

 

初めは

家族ぐるみで

おかずをシェアしたり

お互いの部屋を

行き来して

 

 

みんなで一緒に

DVDを観たり

誕生日パーティーを

開いたりして

とてもにぎやかで

楽しかったのですが

(相方はフィリピン人だったので

文化のちがいなども多くて

勉強になりました^^;)

 

 

 

次第になぜか

うちの教育方針について

意見を言われるように

なっていきました

 

 

私が

こどもたちに

甘すぎるせいで

わがままで

親に対する態度じゃないとか

 

もっと厳しくしないと

ダメだと言われるようになり

 

 

その悪影響が

彼女のこどもにまで

及んでいる

 

だから

自分の家庭だけの問題じゃない

と言われ

 

 

私は

親として申し訳ないと

 

 

罪悪感で

こどもたちに

それまでの甘さをなくし

制限をするようにしたり

厳しく態度を改めました

 

 

 

いや

厳しいなんてものではなく

 

 

あれは

虐待でした

 

 

こどもたちには

私が洗脳されていたせいで

本当につらい思いを

させてしまいました

 

 

反省してもしきれないくらい

成長期の大事な時期に

一生ぬぐえないほどの

傷をつけてしまいました

 

 

そんな荒れていた日々に

小学生だった息子が

家出したり

帰りたくないと言って

ある日

警察から連絡が来ました

 

 

当時の私は

自分が原因だとは思って

いなかったので

帰ってこなくていい

と言ってしまいました

 

そしてそのまま

息子は保護所へ連れていかれました

 

 

その2か月後には

中学生になった

長女が一時保護されたと

直接児相から連絡がありました

 

 

その時もまだ

私は悪くない!

と自分を省みることは

しませんでした

 

 

 

私は

相方の言うとおりに

しただけ

 

 

児相は何にも

わかっていない

 

 

日本の教育は終わってる

 

 

根本から変えていかなきゃいけない

 

 

私たちが

変えていかなきゃいけない

 

 

当時は

そんな風に思っていました

 

 

さらに

相方から

保護されたこどもたち

にされたことを恨んでるとか

一生許さないとか

 

私がその子供たちを

産んだことが最大の業(カルマ)

だったとか

 

だから罪を償うために

今一緒にいるんだなどと言われ

 

 

挙句の果てに

私の父も汚い人間だったとか

 

 

本当は

私と次女が

前世の仮があるから

一番汚い女であるとか

 

 

だから

うちの家系の

血筋ごと

絶やさなきゃいけない

とまで言われました

 

 

 

もし

逃げたとしても

来世に課題を

持ち越すことになるとか

 

 

私に言ってないことが

まだ何10%もあるけど言わせる?とか

 

 

謝れ

自分はどういう人間か

自分の口から言えと

深夜まで罵られ

 

 

私は

電話を切りたくても

隣だから

すぐにピンポンを押されるので

切れず

 

怖くて震えて

何も言えませんでした

 

 

それまで

相方に

何もわかってないとか

間違ってると言われるのが嫌で

認めてもらいたくて

 

 

 

それがすべての

価値基準になっていました

 

 

 

それが私の

意志であり本望だと

思い込んでいました

 

 

 

でも

児相の心理士さんの

おかげで

やっと気づきました