今朝の謝罪を受けてかねがねやりたいと思っていた玉川事件についての思考メモ。くっそ長文につき注意。

もとより非常に高い関心を持っていた問題であったが、今日の謝罪があるまでむやみに考えを決めるべきではないと考えていた。しかし謝罪が入ったので、その結果ももとに考えたいと思う。
結論から言えば、問題の重大性の認識の甘さが垣間見える謝罪会見だったと感じた。玉川氏本人というよりは、テレビ朝日にその傾向を特に感じる。
今回の問題点から整理しよう。そのためにまずは事実関係を把握する。故安倍晋三氏の国葬における菅義偉前総理の弔事に対して、翌日のモーニングショー放送内で玉川氏は「僕は演出側の人間ですからね。テレビのディレクターをやってきましたから。それはそういう風に作りますよ、当然ながら。政治的意図がにおわないように、それは制作者としては考えますよ。当然これ電通が入ってますからね。」と発言。
ところが翌日、これが事実誤認、電通社が国葬に関与していた事実はないと訂正、謝罪する事態に発展し玉川氏が謹慎処分を受け、今日の謝罪により番組のコメンテーターを降板(?)、一兵卒としての継投(?)となる。
さて、今回の発言の問題はどこにあったのか。自分が考えるには、まず発言において、事実誤認の発言を公共の電波に乗せてしまった、しかも強い断定口調でそれを発言力ある玉川氏が行ってしまったという一般的に問題とされている要素、次に演出側の人間という言葉に象徴されるように、自分たちの報道が演出による意図が入っているように誤解を与えうる発言だったという要素、そしてこれは発言以降の要素を含んだ、普段自分たちが政治家に対して接している態度と、身内の不始末に対する反応の不一致、まあ乱暴な言葉を使えばブーメランあるいはダブルスタンダードのような扱いを受けたこともあり得るだろう。
まずいちばん最初の問題だが、これがわりとまず1アウトでジャーナリズムの基礎の基礎が出来ていなかったことを露呈してしまったのである。玉川氏が菅前総理や電通社を故意に貶めるつもりであった場合は論外であるが、そうでなかったとしたら思い込みか推察で、裏取りどころか情報収集すらしていない恐れのある発言を公共の電波で発信してしまったことになる。しかも「当然」という強い断定の言葉を使うからには、それ相応の強い証拠が必要であるはずなのに、である。しかしそんなものはなく、翌日あっさりと誤報を認め謝罪したのはもとより何も根拠などなかったことの証であり、かえって発言を軽くしてしまうものであった。しっかり裏があるならそれを開示すればよいのだがそれが出来なかったのは、裏がないからなのだろう。
次の問題は、我々が誤解、拡大解釈をしている部分もあるかもしれない。玉川氏は自分がテレビの演出スタッフであるから、自分の経験上あの手の国葬には演出が入っていてもおかしくないのだということを言いたかったようにも取れるが、しかし多くの人が、その発言から報道番組にも演出が入っている、入れているというように受け取ってしまったのだ。この誤解は果てしなくヤバい。報道の正当性を根本から揺るがしかねない不信感を与えることになる。現在日本の報道機関が最大の建前としている「公正・公平」を根本から揺るがしかねない誤解であり、どんな報道をしても「でもあそこはそうなるように演出しているかもしれないからな~、玉川のように」という感覚を与えかねない。報道の信頼性を大きく揺るがせる誤解を与えうる失言ということで2アウトである。
そして普段テレビ朝日が政治家や芸能人の不祥事にどのように接してきたか。説明責任。世間への影響や失望、社会的懲罰。それを思えば自社のお抱えの売れっ子コメンテータは、政治的な影響力も番組視聴率的な影響力も高い、公共的な存在の不祥事に対しての謹慎10日からの格下げが果たしてどれほど誠意のある対応といえるだろうか。これは玉川氏本人というよりテレビ朝日側の問題ではあるが、ここで玉川氏を切らずに庇うという行動が、山際大臣をかばう岸田総理の姿を重ねてしまう。であるならば、テレビ朝日に少なくとも山際大臣の辞職を要求する説得力が下がってしまう。「まず隗より始めよ」(この用途は微妙に誤用らしいが)である。
ではどうすればよかったのか。個人的には玉川氏はコメンテーターを辞退し、テレビ朝日の看板も外して一人のジャーナリストとしてフリーのジャーナリスト、コメンテーターに移り勝負をかけなければならなかっただろうと思う。真に自分がジャーナリストと自負するならば、自分の問題意識に従った取材や調査を行い、問題提起を自分の責任で執り行得ることを示し出版などの分野などに軸足を移すべきだったのではと思っている。テレビ朝日の舞台の上では2番めの問題により、いつまで経っても演出なのではという懸念が揺るがず、信頼を得られないと感じる。
ところが現実は、玉川氏はコメンテーターを降りるのか、現場中心になるのかよくわからない不明瞭な謝罪に終わり(報道ではコメンテーターを降りるという話になるが、リアルタイムではよくわからなかった)、籍もテレビ朝日に置いたままと言う形になった。どう見ても「コメンテーター・玉川徹」に色気を残しまくりの玉虫色の決着。もしも視聴率を取れているから降ろせないと言うなら、金輪際テレビ朝日は不祥事を起こした大臣や芸能人の追及をしてはいけないと思う。世間や社会に貢献しているなら(視聴率を取れているなら)許されるかのようなダブルスタンダード全開で不祥事を追求するためのロジックが成立しなくなる。
玉川氏本人は菅前総理への謝罪や事実確認の大切さへの言及もあるなど、一定の評価はできる謝罪はしていたとは思うが、これからどうするかという点では若干弱さもあったように思った。それにもまして、玉川氏のコメンテーター復帰を模索してるようにしか見えないのはテレビ朝日側で、これはことの重大さを認識しているのか疑念を感じる。玉川氏1人に罪をかぶせて、局としての責任を取る気はないのではないかと思わざるをえない。いや君たちの社員じゃないのかと… 山際大臣の任命責任が岸田総理にあるなら、玉川氏を起用した責任は?となる。局の責任のとりかたはどうすればいいのか、という別の問題もあるが…