ネタが無いけど時間はある時の日記の逃げ道、それが時事問題。
というわけで後2日に迫っている例の葬儀の問題に思う所をメモ。くっそ長文な上に個人的なバランスの偏りがあり得る駄文ゆえに、今日は実績より先にこっちを更新します。

個人的スタンスは初期は「どっちでもいいけどやるなら説得力がほしい」から現在は「やると決めた以上遂行しなければならない」といった所。
個人的には安倍さんに関しては消極的賛同者(当時では最善の選択肢と判断)のつもりではあるんで、まあそういう人が書いてるんだから安倍さんについてはわりと肯定的に見てますし壺を買ってるとは思ってないんでその辺を疑ってる人は回れ右。
その上で安倍さんの国葬は安倍さんに関しての評価が礼賛する人から仇敵のように嫌う人までいるように見えるので、そういう人をオフィシャルに称える場にはある程度の説得力がないと面倒なことになると考えたので、やるならそれを示せるかが重要だと思っていた(すごく後出し臭いが当時から思ってましたとも)
ここで私の言う説得力は国葬反対派の言う「法的根拠」と言うよりは、「誰が国葬に相応しいのか」という国葬自体の根本的な論拠と「安倍さんはその誰かにふさわしい人物であるか」という安倍さんの国葬への議論であるのだが、たしかにこの論争は少々不足していたかもしれない。
岸田首相は「最長の首相としての重責」「内製・外構での大きな実績」「国際社会からの評価」「蛮行に寄る死去に対する哀悼の意」を国葬の4つの理由として示しており、主に後者の理由を示してはいる。これは意外と今の論議で無視されている部分であり、あるいは知っているのか国葬の根拠の弱さを「法的根拠」や決定プロセスに求める反対派も目立つところである。だが個人的には「法的根拠」や決定プロセスについてはあまり重んじていない。暗殺という異常事態に対する措置なんで超法規的措置や迅速な決定が出てもそこだけには違和感はあまりない。
だが問題は説得力があったのかって話で、そこはあまりなかったんじゃないかなって思っている。要は「安倍さんだから国葬にした」と思わせるのではなく、「このような国葬基準者の概念に安倍さんは十分当てはまるので国葬にした」と思わせなければならないと思っているのだが、特に前者の議論が致命的に不足していたのではないか。戦後国葬が行われたのは、吉田茂氏と昭和天皇陛下の2例であり「独立を回復した政治家」と「昭和時代の象徴たる天皇」では基準を作るのも難しい。強いて言うなら、「今の日本のあるべき姿を作ってくれた」くらいが共通点か。安倍さんを彼らに並べるなら、「壊滅的な経済を立て直し、日本に希望をもたらした」レベルは必要か。正直、安倍さん賛同者だけどそこまでは至ってないよなぁ…とも思う。ただ国葬基準のジョーカーとして、そもそも戦前まで遡れば最初の国葬である大久保利通公は死因が暗殺であり、明治維新の元勲として先程の基準を満たしてるとは言え「暗殺」は重要なファクターではある。「暗殺された政治家」としての安倍晋三を国葬する、という道理に徹すれば説得力は多少はあったかもしれない。
だがここで山上事件の非常に卑怯な、腹立たしい特性があり統一教会に山上個人の問題が責任転嫁され、統一教会のせいで山上は暗殺を実行した、安倍と統一教会はつながっていた、暗殺されたのは安倍の自業自得だという謎のロジックが発生する。そもそも統一教会自体がどれだけアレだとしても暗殺は山上の独断専行で同情する余地などかけらもないのだが、国葬の日に山上のドキュメンタリー映画が上映されるなどという有様である。山上が肯定され、殺された安倍さんが否定されるなど本来あってはならない。にも関わらず、今の状況は、反対派の有様はどうか。
個人的な意見の変遷理由は、まずは国際的な儀式を言い出しっぺが中止するなどあってはならないというのが理由の1。これは日本の威信というか、常識的なお話でパーティに人を招いたのに家の中の人がうるさいから中止にしますなんて直前には恥ずかしくて言えない。もちろんカナダのトルドー首相のように招かれる側は急用ができて断るのも仕方がない(個人的には、そもそも岸田首相に弔問外交など期待すらしてなかった)が、招く側にはオフ会0人の悲劇になろうとも開催する義務が生じる。正直、反対派はこの程度の常識もわからないのかと疑問に思っているのだが言ってはいけないのだろうか。ちなみにこれは岸田首相にも、やると言った以上絶対に中止にしてはいけないという釘刺しにもなる。流石にもう大丈夫だと思うが。
もう一つは、反対派やそれを煽る連中に成功体験を与えたくないという完全な個人的感情である。正直、反対派に対する悪感情は口汚くすればたくさん出てくるが口をつぐんで、反対派の論拠とソースが極端に一部マスメディアとリベラルネットワーク、及び声の大きさを国民の声と偽るいつもの手段に依存していないかという部分である。
例えば参加者数百人のデモが、老人ばかりで平日の昼に行われてもマスメディアは国民による反対の声!!として妙に大きく取り上げる。シュプレヒコールを見ればアベの字はカタカナだ。しかし国民はこんなに騒いでるとして、今度は知識人たちがそれをもとにした議論を建設してくる(もちろん、真面目に物事を考えている人もいるだろうけど)、さらに調査母体がはっきり示されていない信頼性に欠ける、検証の薄い世論調査が国民の声として示され、その声に従えと圧力をかけてくる。個人的には、これこそむしろあまりにも民主主義的ではないと考えている。マスメディアの記者や、テレビに出てくる知識人に私たちは投票を行いましたか?デモを行う自由は確かに認めますが、デモを昼間に行うような時間の自由が若い労働者階級にありますか?固定電話を使っていて、昼間にそれを受け取ることができる若い世代がどれだけいますか?あなた方が民主主義的だと思っている行為が、民主主義を破壊しているのではないか、とさえ思ってしまう。国民が政治に参加する最高の手段は、あくまで選挙であるべきなのが今の法であるはずだ。
以上の論点から、まあ2日前だし余裕で大丈夫だとは思うが今は国葬は断行するべきであるという意見を持っている。まあ、究極を言えばここまで国論を二分させてしまった以上、統一教会の問題も解決しなければならないし国葬終了後に衆議院を解散、総選挙を行って政局の混乱に幕を引くべきであると考えているが岸田首相と自民党にその肝があるとは正直思ってない。統一地方選までは選挙がないまま政治の実行力だけが落ちていくという一番やっちゃいけない展開に陥るんだろうなあ… と。