Duke of Windsor
こんにちは!!
MICKです!!
最近の入荷情報は見て頂いてましたか??
僕のイチオシはやっぱり、「HIGH LAND 2000」です。





highland_tn_grn
フェアアイルタートル
¥18,900
このBRANDにも採用されている柄、
「フェアアイル」
まず、フェアアイルというのはフェア・アイルというのが正式で、アイルは島という意味合いを持っているそうです。フェア島は人口が多いわけでもなく、特別栄えているわけでもありません。なので、女性達は暇を見つけては内職的な感覚で編み物をしていたそうです。
元々はこのフェアアイルニットは漁師さんの為に作られたらしく、何でもその特徴的で独創性のある柄は作った家の個性ともされているそうで、なので漁師さんが海難事故に合った際に、海から流れてきてもそれが誰だか分かるようになっていたそうです。この独特の柄にはそんな意味合いもあったんです。
この「フェアアイル」と、今回のBLOGタイトルの人物、「ウィンザー公」。
簡単にいってしまうと、この漁師の為の柄をFASHIONとして使用し、流行らせたのが「ウィンザー公」なんです。
有名な話なので御存じな方も多いとは思いますが。
Duke of Windsor (ウィンザー公爵)1894年6月23日 - 1972年5月28日

現イギリス女王、エリザベス2世の伯父であり、
イギリス、アメリカファッション界の伝説的な人物です。
代々のイギリス皇太子には、お洒落のマスター(最高レベル)が何人もいます。
「お洒落には、ある程度のお金がかかる」という現実があり、昔のファションは、今のように、「デザイナー主導」ではなく
「貴族・王」が引っ張ったという事実があるからなんです。
なぜ、ウィンザー公は「ファッション界の伝説」になったのか。
世界で初めてタバコを吸ったところを、写真に撮らせた王族。
世界で初めてラジオに出演した王族。
女性関係も、実に豊富。
当時「世界で一番魅力的な独身男性」と言われました。
服装ではやはり、「ウィンザーノット」が一番有名でしょうか?
ネクタイの結び方の一種なんですが、ノット(結び目)にボリュームを持たせるための
独特な結び方です。
考案したのが、このウィンザー公ということになっています。
当時としては珍しい襟の大きなワイドスプレッドカラーのシャツを着用していたことから、そのシャツは彼の名前を取ってウィンザーカラーシャツとも呼ばれていたりもします。
その他にも、ダッブ・カラー、タイ・スナップ、ブリム・ハット、フェア・アイル・セーター・・・
レース・トラック場にパナマ・ハットを被って登場したり、
茶色のヌバックのウィングチップに、
グレーのチョークストライプのフランネル・スーツという粋な装いでポロ競技を観戦したりと、
彼の時代では前代未聞のスタイルを次々に展開。
ウィンザー公のスタイルは翌年になると何百人もの人達がマネをしていたとか。
ウィンザー公のファッションセンスは、当時の人達の注目の的だったようです。

と、ここまではFASHIONの話なのですが、これから書く、彼の人間性に僕は惹かれます。
実は、このウィンザー公。
独身時代は、女性遊びの連続だったのですが、1931年、運命の女性と出会う事になります。
後のウィンザー婦人、ウォーレン・シンプソンです。
しかし、このウォーレン・シンプソンを皇太子妃にするには問題がありました。
すでに一回の離婚暦があり、子供もいて、しかも結婚している人妻でした。
伝統を特に重んじるイギリス王室、議会、国民は、猛反対。
しかもこの時のイギリス王室は、イギリス国教会の首長という立場でした。
皇太子は、後の国王になる人ですからね。
ここからがエドワード8世の本領発揮です。
彼は、公式には「ウォーレン・シンプソンは、友人」というような立場を採っていました。
しかし、父であり国王でもあったジョージ6世が亡くなり、自らが国王になった後・・・
なんと、サッサと国王を退位し、ウォーレン・シンプソンの元に駆けていったのです。
退位した日、イギリス中にラジオが流れました。

エドワード8世の在位は、わずか一ヶ月。
後を引き継いだのは、弟のヨーク公ジョージです。
後のジョージ6世であり、チャールズ皇太子の祖父になります。
ウォーレン・シンプソンは正式にウィンザー夫人と、認めてもらってなかったのです。
認めてもらったのは、1966年。
ウィンザー公が亡くなる6年前の出来事だったんですね。
エドワード8世は、ウィンザー公の称号をもらい、フランスで幸せに暮らした・・・。
ウォーレン・シンプソンと共に。
ウォリスとの結婚や退位については、「もし時計の針を元に戻せても、私は同じ道を選んだでしょう」として亡くなるまで一度も後悔しなかった。
FASHIONで注目される事の多かった人物ですが、とても魅力的な人格の持ち主だったんですね。
様々な苦難を乗り越え、王位まで捨てても彼の信念を通した一生を、深く尊敬します。


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staff coordinate
http://www.timeison.com/
MICKtwitter.com/xxxxMICKxxxx
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フェアアイルタートル
¥18,900
このBRANDにも採用されている柄、
「フェアアイル」
まず、フェアアイルというのはフェア・アイルというのが正式で、アイルは島という意味合いを持っているそうです。フェア島は人口が多いわけでもなく、特別栄えているわけでもありません。なので、女性達は暇を見つけては内職的な感覚で編み物をしていたそうです。
元々はこのフェアアイルニットは漁師さんの為に作られたらしく、何でもその特徴的で独創性のある柄は作った家の個性ともされているそうで、なので漁師さんが海難事故に合った際に、海から流れてきてもそれが誰だか分かるようになっていたそうです。この独特の柄にはそんな意味合いもあったんです。
この「フェアアイル」と、今回のBLOGタイトルの人物、「ウィンザー公」。
簡単にいってしまうと、この漁師の為の柄をFASHIONとして使用し、流行らせたのが「ウィンザー公」なんです。
有名な話なので御存じな方も多いとは思いますが。
Duke of Windsor (ウィンザー公爵)1894年6月23日 - 1972年5月28日

現イギリス女王、エリザベス2世の伯父であり、
イギリス、アメリカファッション界の伝説的な人物です。
代々のイギリス皇太子には、お洒落のマスター(最高レベル)が何人もいます。
「お洒落には、ある程度のお金がかかる」という現実があり、昔のファションは、今のように、「デザイナー主導」ではなく
「貴族・王」が引っ張ったという事実があるからなんです。
なぜ、ウィンザー公は「ファッション界の伝説」になったのか。
世界で初めてタバコを吸ったところを、写真に撮らせた王族。
世界で初めてラジオに出演した王族。
女性関係も、実に豊富。
当時「世界で一番魅力的な独身男性」と言われました。
服装ではやはり、「ウィンザーノット」が一番有名でしょうか?
ネクタイの結び方の一種なんですが、ノット(結び目)にボリュームを持たせるための
独特な結び方です。
考案したのが、このウィンザー公ということになっています。
当時としては珍しい襟の大きなワイドスプレッドカラーのシャツを着用していたことから、そのシャツは彼の名前を取ってウィンザーカラーシャツとも呼ばれていたりもします。
その他にも、ダッブ・カラー、タイ・スナップ、ブリム・ハット、フェア・アイル・セーター・・・
レース・トラック場にパナマ・ハットを被って登場したり、
茶色のヌバックのウィングチップに、
グレーのチョークストライプのフランネル・スーツという粋な装いでポロ競技を観戦したりと、
彼の時代では前代未聞のスタイルを次々に展開。
ウィンザー公のスタイルは翌年になると何百人もの人達がマネをしていたとか。
ウィンザー公のファッションセンスは、当時の人達の注目の的だったようです。

と、ここまではFASHIONの話なのですが、これから書く、彼の人間性に僕は惹かれます。
実は、このウィンザー公。
独身時代は、女性遊びの連続だったのですが、1931年、運命の女性と出会う事になります。
後のウィンザー婦人、ウォーレン・シンプソンです。
しかし、このウォーレン・シンプソンを皇太子妃にするには問題がありました。
すでに一回の離婚暦があり、子供もいて、しかも結婚している人妻でした。
伝統を特に重んじるイギリス王室、議会、国民は、猛反対。
しかもこの時のイギリス王室は、イギリス国教会の首長という立場でした。
皇太子は、後の国王になる人ですからね。
ここからがエドワード8世の本領発揮です。
彼は、公式には「ウォーレン・シンプソンは、友人」というような立場を採っていました。
しかし、父であり国王でもあったジョージ6世が亡くなり、自らが国王になった後・・・
なんと、サッサと国王を退位し、ウォーレン・シンプソンの元に駆けていったのです。
退位した日、イギリス中にラジオが流れました。

エドワード8世の在位は、わずか一ヶ月。
後を引き継いだのは、弟のヨーク公ジョージです。
後のジョージ6世であり、チャールズ皇太子の祖父になります。
ウォーレン・シンプソンは正式にウィンザー夫人と、認めてもらってなかったのです。
認めてもらったのは、1966年。
ウィンザー公が亡くなる6年前の出来事だったんですね。
エドワード8世は、ウィンザー公の称号をもらい、フランスで幸せに暮らした・・・。
ウォーレン・シンプソンと共に。
ウォリスとの結婚や退位については、「もし時計の針を元に戻せても、私は同じ道を選んだでしょう」として亡くなるまで一度も後悔しなかった。
FASHIONで注目される事の多かった人物ですが、とても魅力的な人格の持ち主だったんですね。
様々な苦難を乗り越え、王位まで捨てても彼の信念を通した一生を、深く尊敬します。


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