積木崩し -16ページ目

積木崩し

SNSではできない、書きたい放題の場を作りました。
ひとり悩み相談みたいな場所になってます。
話半分でどーぞ。

絶対的なもんなんてないんだよ。
それがあらゆる思考の結末だ。
知識や知恵なんて大した意味はない。
意味があるのはそこから生まれる社会の流れや、人々の感情や、そういったものでしかない。


価値は人それぞれで
だからそれを良い方向に受け取ろう。
自分に都合のいいように解釈していこう。

一喜一憂する出来事の中で
全力で一喜し、
一憂するのをやめよう。
すべては絶対じゃない。


逃げるな。
逃げるんじゃねぇよ。
あと3ヶ月したら、楽しいほうに流れて生きるんだ。
いや、きついのはあとひと月半だ。
あとは文章書くだけだから。

ひと月半。
たったひと月半だぜ。
幼稚園から20年以上学生やってきて、あとひと月半だぜ。
99パーセント終わったんだぜ。

大概の時期はきつかったじゃんか。
何度も何度も死にかけたじゃんか。

大丈夫。
逃げるな。
別にビリでかまわない。
いやいや、けしてビリなんかじゃない。
期待にそえない人間だけど、じゃあみんなが期待にそえてるかといったらそんなこたぁない。

僕は客だ。
年1億使ってんだ。

逃げるな。
立ち向かえよ。
もうちょいだ。
体がおかしくても、心がおかしくても、もうちょいだ。

くそっ。
くそっ。

逃げんな。

くそっ。



…これで終わるとあまりに残念メンヘラだよなぁ。
深い絶望ののちに、人は大きな生への歓喜を感じるそうだ。
たとえばベートーベンの第九。音楽家でありながら耳が完全に聞こえなくなる、もともと繊細な芸術家にとってそれはどれだけ絶望か。

きっと電気に感動し、コンビニに感動した気持ちはその歓喜だったんだろう。
だがそれも続かなくなりつつある。

探し続けなきゃな。
楽しさを。
楽しさを探す力、それが生きていく上でいちばん必要なんじゃないかな。

つらい仕事に、思うようにいかない結婚生活に、文句を言うんじゃなくて、その中に楽しさを見つける。
それがいちばん価値ある能力なんじゃないかな。
ペンを片手に、おじさんが本を読んでいる。
時々、ラインをひいている。
時々、なにか書き込んでいる。

それが新書なのか小説なのか、なんなのかはわからないが、僕はマーキングが嫌いだ。
文章の書き手はひとつの作品として一冊を執筆する。
そこには順に書いていった流れ、文章のリズムや作者の息づかい、たくさんの推敲、そういったものがある。
のめりこみながら流れにのって読んでいるとき、いったん頭をとめてラインをひくことほど思考をとめるものはないように思う。

ラインなどひかなくても残るものは残るし、逆に残らないものは残す必要がないと思う。

メモについては、自分の思考をその場で残さないと忘れてしまうので、わからなくもないが、あえて常にペンを持ちながら本と向き合うのは堅苦しいように思う。

よく教科書がマーカーだらけ・付箋だらけになっている人がいるが、どうして綺麗な装丁の本をあえてボロボロにするのか、理解できなかった。

ラインなんかひいたって大して見返しゃしないだろ。
それどころか見づらくなったり、ブックオフに売れなくなってしまう。
そういう人って、なぜかドリルや問題集は書き込まずに別のノートにやったりすんだよなぁ。
「またやるかもしんない」とかね。


本は読むために作られてるし、ドリルは解くために作られてると思うんだ。
だから、まぁ別にカフェテリアでラインひきながら頑張って本読んでるおじさんはそれはそれで自由だと思うけど、僕は本にラインはひきません。

本当に残しておきたい文があったら、書き出しておきます。
結局、終バス。
でも残ってよかった。

最後はお互いに笑顔で挨拶ができた。
また頑張るよ。

あなたが笑ってくれることで、僕は救われるのです。
あなたにはそれだけの力があること、それだけの力を持ってしまったことに、ぜひ気づいてください。

今まで一度だって嫌ったことはありません。
少しまわりが見えなくても、起伏が激しくても、多くの逆境の中、才能と努力で生き抜いているあなたは称賛に値する人間だと思います。

正直に言えば苦手な人種だし、まわりにも止められたけど、間違いなく僕はあなたに感謝しています。

迷惑ばかりかけてすみません。
才能も努力もない人間ですみません。
生まれてきてすみません。

でもまだ僕は生きています。
阿呆でも生きています。

その責任を果たすまでは、居座れる限りここにいようと思います。
駄目ならば切ってください。


でも、そこらへんのやつになど負けない、という毒針はまだ脇に隠していますよ。
98%の人間は叩きのめしてやる。
こいつが有る限り、僕はつぶれません。
見てろよ。