もうハイブリットやエコカーといったキャッチコピーだけでは車が売れなくなってきたようです。
次のキャッチコピーは自動運転のようですが、自動運転には様々な問題があります。
まず、法令遵守という基本ポリシーはどこまでプログラムされるのか?ということです。
例えば、制限速度をキッチリと守るのか?という問題です。
例えば、制限速度をキッチリと守るのか?という問題です。
一般道の住宅街では最高速度は30km/hです。
これを厳守してスムーズな走行ができるでしょうか?
これを厳守してスムーズな走行ができるでしょうか?
あるいは高速道路ではスムーズに流れている場合、概ね10~20%増しで走行しているは常態化しています。
その流れの中で、法定速度を厳守して問題はないのでしょうか?
逆に法定速度を無視してスムーズな流れに乗るべきなのでしょうか?
はたして法律を破るようなプログラムを作れるでしょうか?
その流れの中で、法定速度を厳守して問題はないのでしょうか?
逆に法定速度を無視してスムーズな流れに乗るべきなのでしょうか?
はたして法律を破るようなプログラムを作れるでしょうか?
さらに、現実の世界ではもっと複雑な問題が沢山あります。
例えば自動車には子供も含めて家族4名が乗車していたとします。
その車が走行している前に一人の子供が飛び出したとします。
その時、通行人の子供を守るために、車は自車をガードレールにぶつけ、歩行者は助かったが同乗者は全員亡くなったとすると、この機械の判断は正しかったのか?という問題です。
例えば自動車には子供も含めて家族4名が乗車していたとします。
その車が走行している前に一人の子供が飛び出したとします。
その時、通行人の子供を守るために、車は自車をガードレールにぶつけ、歩行者は助かったが同乗者は全員亡くなったとすると、この機械の判断は正しかったのか?という問題です。
人が運転していた場合は歩行者の子供を避けるのは当然ですが、機械が判断したとなると話は変わってきます。
なぜなら機械に対して歩行者も同乗者も同等な立場となるためです。
この場合1人を犠牲にして4人を助けるという判断をするかもしれません。
自動運転にはこのような様々なジレンマが存在します。
なぜなら機械に対して歩行者も同乗者も同等な立場となるためです。
この場合1人を犠牲にして4人を助けるという判断をするかもしれません。
自動運転にはこのような様々なジレンマが存在します。
一般的には、もし自動運転で事故を起こした場合、その責任は車を製造したメーカー側にあるでしょう。
何故なら走行中にブレーキが利かない、アクセルが戻らない、ハンドルが効かないと同じことで、単なる機械の機能不全となります。
何故なら走行中にブレーキが利かない、アクセルが戻らない、ハンドルが効かないと同じことで、単なる機械の機能不全となります。
そうなるとこんな危険な機械をメーカーは販売できるでしょうか?
もし逆に自動車の所有者が責任を問われるならそんな車に乗れるでしょうか?
もし逆に自動車の所有者が責任を問われるならそんな車に乗れるでしょうか?
どちらにしても機械に命をあずけ、もし機械が暴走すれば運が悪かったで済まされるようなのはゴメンです。
平成26年中の交通事故は57万件以上、死亡事故は4千件以上、死者は4千人以上、負傷者は71万人以上です。
自動車は便利な半面、これだけの犠牲を出している走る凶器でもあります。
この状態で自動運転の車が加わることでさらに混沌とした世界になることは明白です。
自動車は便利な半面、これだけの犠牲を出している走る凶器でもあります。
この状態で自動運転の車が加わることでさらに混沌とした世界になることは明白です。
都市化による過密社会では自動車よりも電車のようなより効率的な交通インフラが重要となります。
自動運転よりも自動車産業そのものを見直す時期なのかもしれません。
自動運転よりも自動車産業そのものを見直す時期なのかもしれません。