今日から10月末にかけてミラノ万博が開催されます。

2015年ミラノ国際博覧会 日本館
http://www.expo2015.jp/

ごはんと言ってしまえば、お茶碗に盛られたお膳として思い浮かべますが、
その素体は「米」あるいは「粒」であり、その一粒一粒が無限の時間を生き抜く可能性を秘めた「命」のカプセルであって、それを私達は食としていただくわけです。

うまいとかまずいとかいう前に、食は命連鎖であることにまず感謝すべきでしょう。

人は命のないものを食べて生きることはできません。
人が食する全ての食べ物は何かの命に由来してる有生物であって、無生物は食することはできません。
この不思議さは生命の神秘そのものだと思います。

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イタリアはスローフードの提唱国として有名ですが、
マクドやケンタといったファーストフードと呼ばれるものとは対局的な考え方です。
誰の立場に立って、何のための仕事をするのかによって全ては決まります。

フードマイレージという言葉も定着してきていますが、
食材の元となる命と食するのでの物理的な距離や時間が問題になっています。

なんでもかんでも経済性を重視する風潮の世の中ですが、
命と食の距離や時間が空けばあくほど、まがい物やその命のパワーそのものも失われてしまいます。
経済主義は悪魔の罠、人の負の思いが形となって表に出てきます。

今の世の中、特に最近の若者は「めんどくさい、ウザい、ダサい」といった言葉を当たり前に使っていますが、
本来、命の奪い合いは真剣勝負の生きるか死ぬかのやり取りがあったものです。

その戦いに勝利したものが生き残る、つまりは自然淘汰であって進化がそこにありました。
生き残るべきものが生き残り、負けたものはその命を差し出したのです。

そんな大前提が、今の食文化にはほとんど見受けられなくなっています。
日本食ブームもいいのですが、形だけではなく、その歴史的な成り立ちや意味を深く理解してもらいたいものです。
食文化とは先人達がまさに命がけで築いてきた最も尊い文化なのです。

それを理解できていれば、キャロライン・ケネディ大使のようなSSまがいの発言はしないはずです。
残念ながら彼女はそんな教育を受けてこなかったのでしょう。

さらには食とそれを支える自然環境、水田などの多面的機能も重要な要素です。
大地や水、太陽の総合的なエネルギーの結晶が命を生み出している根本であることを忘れてはいけません。

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食は私達を構成するそのものであって、
食をおろそかに考えることは未来そのものを自ら否定することになります。

そうは言っても、日頃の食事でそこまで意識して毎日食事をしてるかという難しいものです。
しかし、基本はそういことであるということを理解しているかいないかは大きな差があると思います。

「いただきます」は「命をいたたきます」という感謝の気持ちをもって食事することが大切です。
その思いがあれば、日々の食事で何を選択して、何を食すべきかは自ずと判断できるかと思います。

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TPPはそれを根底から破壊しようとしています。
GMO(遺伝子組み換え作物)もホルモン剤も全てOK、表示義務もなくなり何を食べせられているのかもわからなくなります。
まるで豚小屋のエサ状態になるわけです。

それでもアベちゃんはそれを輸入して食べればいいじゃないかというわけです。
つまり食費を安く押さえられれば、それだけ安上がりの労働者を生産できるわけです。
目的はあくまでも経済利益の追求であって、それ以外の価値は存在しないようです。

もう後戻りできない状態ですが、何を食べるか?最終判断をするのはあなたです。
このミラノ万博を機会に、食に対する価値を今一度見直してもらう切っ掛けになればと思います。

出来ればミラノに駆け付けたいところですが、
先立つものの関係で、GWは「動かず」で対応したいと思います。
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