小保方さんの「STAP細胞」で陰謀説がSNSで盛り上がっているようですが、いまだにあれを信じたがっている人がいるということだと思いますが、もし小保方さんが60才くらいのどこにでもいるブサイクなおっさんだったら印象が大きく違っていたと思います。そこにこそこの事件の根本の仕掛けがあると思います。第一印象はいかに大切かということでしょう。

常識的に考えて弱酸性で細胞がリセットされて活性化されるのであれば、人類が誕生して数十億年の間に自己改造で既に永遠の命を手に入れていたと思います。今更試験管の中の実験で発見されることじゃないでしょう。まさに生命力を舐めた話です。そんな基本的な判断も出来ないほど現代人は判断能力は劣化してしまっているのでしょう。

もう一つ、根本的な問題として、STAP細胞の発表の後、真っ先に指摘してきたことですが「できるかどうかに心奪われる前に、すべきどうかを判断することが大切である」ということです。iPS細胞の山中教授はその点を理解していたことが大きな違いだったと思います。その技術によって後々の後世にどのようなマイナス効果が発生するのかをまず考えるべきで、おそらくこの手の技術はプラスよりマイナス効果のほうが大きいでしょう。

人は自己中心的になりがちですが、自分の存在が社会の一細胞に過ぎないと悟れば、命の尊厳やその存在の意味を理解できてくると思います。過去の膨大な無駄な戦争に何故人々は自らの命を投げ出してきたのか?という理解にも通じると思います。全く無意味で愚かな行為ですが、それは人類が未熟な細胞の塊でしかないということでしょう。その行為は今日現在も世界の各地で継続されていますが、それをまだ続けないと答えを得られないほどまだまだ未熟な命だということです。

彼女は若い頃から妄想癖や虚言癖があったようですが、その話の真意は不明です。しかし、根本的には彼女が行うとしたことが必要だったとは思いません。その前に人類は学ぶことがもっとあると思います。命を個として捉える前にまず群として捉えて行動を起こすべきでしょう。それが人類がより崇高な道に進む方向だと思います。

「長生きは百害あって一利なし」そうとも思います。犠牲の精神なくして子育てなんて出来ませんからね。
我々の大先輩である植物達が黙々と命のタネを作り続けるのも、何のためにというよりはそれが性なのでしょう。
悟りとはそんなことかもしれません。

「汝の隣人を愛せよ」と言ったか言わなかったは知りませんが、簡単にはそういうことだと思います。
これが私のクリスマスに贈る言葉です。