イジメや行き過ぎた指導による暴力事件など、自殺事件を発端に社会問題化しています。
しかし最近のマスゴミの行き過ぎた加熱報道には呆れを通り越して嫌悪感すら感じます。

マスゴミは商売でニュースを売っています。
社会問題(話題ネタ)を作り上げることが彼らの仕事だということを忘れないでください。

こんな記事がありました。

生徒に暴言、体罰 宇都宮の小中学校 教諭ら謝罪
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130202/tcg13020202180003-n1.htm

暴力事件の下りは全くの別問題として、
「高く跳べ。足を上げろ。へたくそ。ばかたれ」と言われて不登校になったようです。
そのことに対して「不適切な指導だった」と保護者に謝罪したようです。
これはどうなんでしょう?

これが暴言なのか?育った環境における人の感性でしょうが、私には理解できません。
この先、この子達が社会に出て自立して生きていけるのか心配になってきました。


学校というものはパズル的な記憶力を競い合うだけではありません。
人としての成長期の過程で、社会の枠組みを学び、強い体と精神力を鍛える場でもあります。
それがたまたま学校時代とマッチングしているだけです。

全ては学校の責任ではありません。
子を育てる義務のある親の責任です。
またそれを支える社会の責任です。

昔は地域で人を育てるための仕組みが、地域の習慣や行事、祭り事に巧妙に仕組まれていました。
今はそれが無くなりつつあります。

今の子供達が社会に出て本当に生きていけるのか?
教育とはまずその視点に立たないとダメだと思います。


グローバル時代と言われて久しいですが、働く場所は国内だけとは限りません。
今後さらに海外を飛び回ることも多くなるでしょう。

先日のアルジェリア事件、日本ではテロとして報道されていますが、それは見方の問題です。
目的を達成するための方法論も育った環境が違うだけでしょう。

つまり日本の常識や価値観は通用しないということです。
そんな環境で戦わないくてはならないことをよく理解しておく必要があります。


ビジネスの中でも命を張った一か八かの大勝負なんてことは何度でもあります。
時には体を張って進まないといけない状況は幾度と無く訪れると思います。

例えばお隣の国には徴兵制度があります。
イジメや体罰どころではなく、彼らはリアルに人殺しの方法を学びます。
イザとなればそんな相手と渡り合わないといけないのです。

人間ですから、風に打たれ雨に打たれる時もあるでしよう。
それでも耐えぬいて生き抜いたものの命が残るというのが自然界の理屈です。
これは法律や文化や理屈でなく自然の摂理です。


保護者の方も、我が子が可愛いのは誰でも同じです。
何のために何を教えているのか、今一度考えてもらいたいと思います。

勘違いしないでほしいのは、イジメや体罰を容認するわけではありません。
必要以上の指導は暴力です。暴力と指導は全く別物です。

昔から「可愛い子には旅をさせろ」とも言いますが、
過保護はその子のためにならないということです。

この先20~30年の間に、おそらくまた大きな天災があるかと思います。
その時、優しさだけでは人は生きていけません。
強さが必要なんです。