昨晩はやり過ぎましたので、その反省も兼ねて今日もポタしてきました。
海コースか山コースか迷ったのですが、今日は海に行ってきました。
天候があまり良くなかったので短時間でしたが、いつもの海まで流してきました。
そこでこんな看板がありました。
そこでこんな看板がありました。

文書の最後が妙に高圧的な看板です。
お客様各位となっているのは、シーズンになるとここは潮干狩り場となるためです。
しかし今年は潮干狩りは行われませんでした。
貝が無くなったのです。
どうして貝が無くなったのか諸説あり詳しくは不明ですが、まーしかし周りは酷いゴミだらけです。
こんな状態だとたとえ貝があっても獲って食べたいと思わないと思います。
こんな状態だとたとえ貝があっても獲って食べたいと思わないと思います。
漁業権は一定範囲の漁業を独占排他的に営む権利を県知事から免許してるものですが、免許期間は5年から10年の有限です。また、漁業権は水面そのものに対する排他性権利はともなっていません。
つまり公の領域として誰でも立ち入れるわけです。
つまり公の領域として誰でも立ち入れるわけです。
私が子供の頃は、この浜で大きなハマグリが沢山獲れました。
今はそんな欠片もありません。
今はそんな欠片もありません。
もちろん生活環境が変わる中で、水が汚れ生きのものが住めない海になったこともあるでしょう。
しかし、それに対して何か努力をしてきたのか大いに疑問です。
魚場のゴミすら見て見ぬふりです。
しかし、それに対して何か努力をしてきたのか大いに疑問です。
魚場のゴミすら見て見ぬふりです。
森を育てて海を耕すのは常識的なことですが、そんな努力をどれほどやっているのか?
少なくてもこの魚場では微塵も感じられませんでした。
少なくてもこの魚場では微塵も感じられませんでした。
そういう努力をしていない団体に漁業権を委託してもいいのか大いに疑問です。
漁業権は知事が免許を交付しますが、私達みんなの公の財産なのです。
漁業権は知事が免許を交付しますが、私達みんなの公の財産なのです。
漁業権は江戸時代に年貢を納めさすために作り出された利権商売です。
おかげで漁業は一般人が簡単に就業できない、瀕死状態の職業となってしまったのです。
おかげで漁業は一般人が簡単に就業できない、瀕死状態の職業となってしまったのです。
これからの日本の漁業を考える上で漁業権は大きく見直されるべきだと思います。
本日、痩せた悲しい海を見てそう思いました。