言葉ってのは難しいでよね。
「今の日本語は乱れている」何てことをよく聞きますが、本当にそうなんでしょうか?

言葉はあくまでもコミュニケーションをとるための手段ですから、理解したい相手と気持ちが通じればOKなわけです。

時代と共に文化も大きく変っていきますが、それに合わせて新しい言葉もどんどん生まれます。
つまり言葉を理解するためには、その時代の文化を理解していないと全く通じないということになります。

特に今の時代はインターネットや携帯電話などコミュニケーション・ツールが革新的に変化しましたので、一昔よりもその進歩がとんでもなく加速されています。
よって今までのような時間の概念とは違う速度で大きく言葉も変っていくのだと思います。


先日、小学生の子供達が書いた作文を読む機会がありましたが、文章の中に当たり前のように顔文字が沢山入っていました。(^_^)v
これにはビックリしましたが、子供達の世代ではそれが当たり前で、今時のコミュニケーションには欠かせない記号なんでしょう。

言葉にはその時代の優れた文化を自動的に取り込む機能がありますが、その昔は中国文化に憧れたというこなんでしょう。
だから今の日本語には漢字がまだ沢山残っていますが、今時はアメリカ文化一色といっても過言ではないと思います。
その内に日本語が英語化するのは時間の問題でしょうが、その過渡期として既にカタカナ文化の嵐になっているわけです。


子供の社会の副読本で古代の日本人の言葉ってのが載っていました。

「イネバ バクボ タアニ クリボ イピリプラム」
意味:母はかごを手に栗を拾います。

「アドゥアドゥ ムイガ ダアボ ミロ」
意味:さあ、私達の家をご覧なさい。

「アバ アガキ ヒロモボ コノミブム」
意味:私は赤い服が好きです。

殆ど意味不明ですが、何となく今の言葉の雰囲気は伝わってきます。
おそらくこの時代の人から言わせれば、今時のNHKのアナウンサーの言葉でも「今の日本語は乱れている」となるでしょう。(笑)

重要なのは時代についていけるかということで、懐古主義的ではいけないというこだと思います。
これは進化なのですから、進化に良いも悪いも無いのです。

仕事柄、システム屋の言葉は年々物凄い勢いで変ってきていますが、既に付いていけない程の世代ギャップを感じ始めています。
まーそうなると人生の終盤も近いということなんでしょうね。
新語・流行語大賞が半分も理解できないあなた(私)、お迎えが近いということです。

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たとえタイムマシーンが作れたとしても、過去に行っても、未来に行っても実はコミュニケーションがうまく取れないということになります。
残念。