先日ジャンクフード(マクド)の話しをしましたが、あれについては論外ということで、真面目に「食」の話しを書いてみます。

私は「食は命の連鎖」と考えています。

これは、今始まったことでもなれば、今流の食料の安全対策のような上面な話でもありません。
大体もって、食をカロリーベースで議論しようなんてこと自体、具の骨頂である。

太古の昔から、それこそ私達が微生物の時代から、その命は受け繋がれてきたのであって、人類ホモサピエンスの時代に命はポッコリ誕生したわけではないのです。

太古から食という行為は、私達の生きるなかで最重要課題であったことは間違いありません。
それはあらゆる命を自分に取り込んでみて試行錯誤しながら、尊い命が受け継いできたわけです。

重要なのは命を取りこんでこそ生き長らえてきている事実です。
それが私達人間の生命サイクルです。

日本において私達は、縄文時代より米を中心に体を作ってきました。
代々その生き方は、私達の身体的な機能も換えながらそれに順応してきたわけです。

例えば米は稲の種子です。
その種子には、これから先無限の時間を生きぬく目に見えないパワーが秘められています。
私達は、それを食することでその永遠のパワーを体内に取り込んでいるとも言えます。
これは理屈ではなく事実です。

私達がそういった種を主に食するのもその意味があるのだと考えます。

また植物だけではなく魚や肉類などは、その筋肉は筋肉、骨は骨に変換し生命を維持しているわけです。

頭デッカチになった現代人は、妙な理屈を見つけ出しこれをカロリーと称しては自給率がどうのこうのと議論を重ねているわけです。
先が思いやられます。

無い頭の知恵を絞ってへたな理屈をひねり出し、WTOなどの議論を重ねることがどれほど意味があるのか。寧ろ非常に危険な傾向であることを自覚すべきです。

食の基本は土を食らうことであるとも言えます。
植物と人間の形は非常に良く似ていると以前に書き込みましたが、もう一度そういったことを思い出す必要があると感じています。

人にとって最も重要な使命は、命を先に送ることです。

現代人は何かと生活の中で錯覚しがちでありますが、この基本的な使命だけは忘れてはならないことです。

目先の食べ物ではなく、せめて100年、200年先を見て食することを考えるべきです。
頭の良い現代人なら簡単に考えられるはずです。

私はあまり頭が良くないので、親から教わった食べ物を基本に自分の子孫にも受け継ぐつもりです。

人は土着するもの。
その土地に、その季節に、一番生命力のあるモノをいただく。
それが旬であり、旬は命のパワーに満ち溢れています。
さらにその鮮度はその命のパワーのバロメータでもあります。

今「地産地消」などという言葉もありますが、ある意味それは理屈にあっていることで、逆になんら新しい言葉でもなく、当たり前のことでもあります。

ただし重要なのは、その地の「種」の保存であり、それはその地で一番効率良く生命のパワーを私達に変換してくれる大切な生物を守ることでもあります。

自給率やカロリー計算の錯覚から、一日でも早く目覚めることを祈るばかりです。

さて、今日は何を食すか、それが問題です。