そもそもの話に戻るのだが、ゲーム性とはなんなのか?ということかと思います。学問的にはゲーム理論などという言葉は聞いたことはありますが、そういう能書きではないわけで、おそらくは現代においては純粋なゲーム性ではなくゲームビジネスとしてのゲーム性ということかと思う。
頭にビジネスと付くとろくな事はないわけで、「ビジネスの秤」が全ての判断基準となる、つまりは資本主義社会の日本では経済効果が最優先されることになります。そうじゃないと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、残念ながら現状の世の中は全体集約としてそうなっています。
ゲームとは一般的には「勝ち負けを競い合う行為」ということになるかと思います。当然その過程には色々と複雑な要素と駆け引きがあるわけで、その駆け引きの思考部分に面白さを感じるのだと思うのですが、最近ではその「競い合う」という部分がコンピュータでは飽き足らず、対人との競争、つまりネットゲームなど他の生身の人間と思考ほぶつけ合うところに移りつつあるような感じがします。
いってみればこの現状は極当たり前なことで「原点帰り」ともいえます。
子供の頃、近所の路地で缶蹴りやかくれんぼで遊んだと思いますが、その志向と同じことですから。
コンピュータゲームが出来た時代は、コンピュータの計算と競い合うことが一つの新しい面白さであったかと思います。その内にコンピュータはそれ程頭の良いものではないと気付くわけです。所詮プログラマーが仕込んだトラップとの知恵比べなわけですから、相手の思考には限界があります。もっと違った変化を求める中で対人に戻ることは容易に想像できます。
この現象を客観的に外側から冷静にみると非常に滑稽です。まー携帯電話もヘンですが、一度、対人を嫌い孤立化した上で、やっぱり人との接点を結ぼうという行為ですから・・・まーそこのところが「ビジネス」なのだと理解しています。
世の中「マッチポンプ」程ぼろい儲けはありませんから・・・
頭にビジネスと付くとろくな事はないわけで、「ビジネスの秤」が全ての判断基準となる、つまりは資本主義社会の日本では経済効果が最優先されることになります。そうじゃないと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、残念ながら現状の世の中は全体集約としてそうなっています。
ゲームとは一般的には「勝ち負けを競い合う行為」ということになるかと思います。当然その過程には色々と複雑な要素と駆け引きがあるわけで、その駆け引きの思考部分に面白さを感じるのだと思うのですが、最近ではその「競い合う」という部分がコンピュータでは飽き足らず、対人との競争、つまりネットゲームなど他の生身の人間と思考ほぶつけ合うところに移りつつあるような感じがします。
いってみればこの現状は極当たり前なことで「原点帰り」ともいえます。
子供の頃、近所の路地で缶蹴りやかくれんぼで遊んだと思いますが、その志向と同じことですから。
コンピュータゲームが出来た時代は、コンピュータの計算と競い合うことが一つの新しい面白さであったかと思います。その内にコンピュータはそれ程頭の良いものではないと気付くわけです。所詮プログラマーが仕込んだトラップとの知恵比べなわけですから、相手の思考には限界があります。もっと違った変化を求める中で対人に戻ることは容易に想像できます。
この現象を客観的に外側から冷静にみると非常に滑稽です。まー携帯電話もヘンですが、一度、対人を嫌い孤立化した上で、やっぱり人との接点を結ぼうという行為ですから・・・まーそこのところが「ビジネス」なのだと理解しています。
世の中「マッチポンプ」程ぼろい儲けはありませんから・・・