私の世代は「モノを買えなかった世代」とよくいわれる、いや「買いあたらなかった世代」かもしれない。その前の世代では「モノが無かった世代」なのだろう。

小学生の頃は、一定のお小遣いを貰っていた。確か月額1000円程度だったと思う。今にしては一瞬の額かもしれないが当時はこれで結構使えたものです。

まずは、近所の駄菓子屋でおやつを買い。たまにはジュースを買ったりしていた。
でも一番の目当ては、駄菓子屋の奥にあるプラ模型である。毎日、駄菓子屋に通い詰めては、羨ましく眺める日々が続いた。

その当時のプラ模型で流行った昆虫シリーズの中に、電動で動作するカブトムシの模型があった。このカブトムシは、「モーターライズ」で足を動かして歩くだけではなく、折り畳みの羽が開閉するギミックもあった。更にその当時としては珍しかった「ムギ球」が搭載されており、カブトムシの目が光ったのである。
これには、瞬間で心を奪われてしまい、数ヶ月の少しづつの小遣いを貯めていた蓄えを合わせて思わず買ってしまった。

ところが問題が発覚した。ワクワクしながら家に買えて、蓋を開け部品を確認してみると、一番心奪われた「ムギ球」が何処にも見あたらないのである。
慌てて店に戻ってそのことを報告すると、実はこのお店ではこの模型を2つ仕入れたのだが、それを先に買ったものに「ムギ球」が入っていなかったため、私の買ったキットから「ムギ球」を抜いて渡したとのことでした。
今にしてみれば「ばかやろー」なことなのですが、店の店主はその分安くするからとの交渉を持ちかけてきました。私としては「ムギ球」が魅力的だったのであって・・・結局のところ模型を店に戻し、お金を払い戻して貰いました。
その後、同じシリーズにあった「黒大アリ」を買ってしまいました。

「黒大アリ」はこれはこれで、大変迫力がある大きさで、足をバタつかせて歩く姿は十分私を虜にしました。しかし、このアリは、当然ながら羽のギミックもなく、目も光りませんでした。
それを見るたび悔しい思いをしたのを覚えています。

なんて事のない話ですが、この教訓は私にとってはとても大きなトラウマになっているような気もします。
ヒトのモノへの執着というものは、こんな些細な出来事の積み重ねから生まれてくるものじゃないかなと思うこの頃です。