このタイトルもなかなか手強いことに気づきつつあるこの頃なのですが、責任回避ということでもないが、このタイトル「紙ラジオ」となっているが、ラジオその物が欲しいから作るということでは無いわけで、たまたま「ラジオ」というお題を振った上で「紙で」というとんでもない課題を付加したことで、より深く考えようということなのです。

先日、「ラジオは情報量が少ない」とも書きましたが、実はそうとも言い切れないわけで、例えば何かの実況中継のラジオを聞いている時、単純に耳でそのストーリーを追うだけではなく、頭の中にはその風景が描かれると思うのです。ラジオを聞くということは、ラジオの情報を聞くと同時に、頭の中で想像したその世界を見るということなのです。その上で内容を把握して感動をするわけです。結果的にはテレビとなんら変わらない感じもします。

これは小説も同じ事で、字を読むことで何らかの風景を想像して、そのお話しの世界に入り込むわけで、感動はそこで初めて作られるということです。つまり最終的なお話や風景を作るのはエンドユーザであるということです。この話しは、私の話しの中で何度も出てくることなのですが、「モノづくり」はこの事を理解することが全ての始まりであるとも考えています。

テレビや映画の場合は、そういう意味でより具体的な世界を伝えることになるわけで、いい意味でも、悪い意味でもその難しさがあると思います。

私の作るモノには、そういう意味でエンドユーザの入り込む余地をたっぷりと残したモノが多いかと思います。それはある意味、責任回避的であるわけですが、「最終的にはあなたが作って下さい」というメッセージでもあります。そういう意味では、作るモノはよりプリミティブなもので、中途半端なモノ、出来るだけ「想像の道具」といった程度のものがよろしいのではないかと思うこの頃であります。

そういう話しを振りつつ、そろそろこの話の最終落下点を模索しているわけです。んーーー