どうにもならないエゴイスト。
ご無沙汰しました。
ちょっと仕事に集中していたものですから。
さて、最近のテーマは「エゴイスト」。
自我。エゴ。自分の思うととおりにしたい人。
それが、自己の欲求という極めて個人的な思いに結びついていること。
それが、大衆へと紐づいていない人。
最近、そんな人に囲まれて仕事をしており、
それに冷静に気づいたら「腹が立って」。
それは、頭から出る突発的な怒りではなく、
腹の底から静かに怒るような感じ。
それで、「怒り」を表現した。
でも、おさまらなかった。
それはなぜだか。
人は、どうしてこうも「エゴイスト」なのか。
でも、そこからはどうにもこうにも逃れられない。
「エゴイスト」であることが人間であること、というようなものだ。
だけど、その「エゴイズム」が出来れば
「善」や「ビジョン」に向かっていて欲しい。
強くそう願う。
そのための「エゴ」ならば許されるのか。
そんな思いを胸に、ちょっと静かにいらだつ日々を送るのだった。
「愛」をカタチにしたいと思って日々生きているけれど、
まわりは、「エゴ」だらけ。
でも、ちょっと前までは、自分も「エゴイスト」だった。
自分の「エゴ」を「愛」に変えたのは何だったろう?
それは、人生最悪の挫折だった。
今はそれに感謝する。
愛からは、もう離れない。
自分は、「すごいの?」「すごくないの?」
わたしは、たぶんまじめなほうです。
そこそこ、、だと思います。
仕事も普通よりはこなしてきたし、ね。
出来ない人ではないと思うんだよね。
でも、有名人じゃないよね。
よくある本の著者さんのように、すごい経歴でもないよね。
すごーく、特徴的でもないよね。
だとしたら、「フツウ」なのかな?
でも、「フツウ」人生の人というイメージがあるとしたら、
「フツウ」よりは、はみ出てると思う。
それに、フツウの人より特徴的だし、
すごいんじゃない?、って思うときがある。
もしかして、魔法のような出来事があれば、
何かのチャンスが来て、有名人になっちゃうかも!という夢もある。
妄想なのかもしれないけれどね。
でも、「フツウ」の延長を生きている。
でも、でもね。
自分が産まれたときに、埋め込まれた
自分の「タネ」みたいなものは、
自分のなかに、ちゃんと埋め込まれていると思うんだよね。
だとしたら、
ぱーーーーっと、
花が咲かないといけない。
もし、自分で「あーっ。わたしの花が咲いたわ!」って
思えたら、たぶん、「すごい」んだと思うな。
そして、
自分は「すごいの?」「すごくないの?」って
思ったら、たぶん、「すごい!」んだと思う。
わたしって、「すごいんだー」って思えることって、とっても大事なことだよね。
それは、自分でしか思えないよね。
繊細な自分でも、
ばかな自分でも、
不器用な自分でも、
おっちょこちょいな自分でも、
かわいい自分でも、
ちょっと野心家な自分でも、
挫折してる自分でも、
お調子ものの自分でも、
どんな、どんな自分でも、
わたしって、「すごいんだー」って思えたら。
それは、とても価値があることだと思いました。
結果を出すための大切な「引き算」。
最近、ちょっと普通の仕事の仕方をしていません。
まあ、プロジェクトは結果を出すために、
大事なことによりフォーカスするために
たくさん「引き算」するわけです。
たとえば、
まず、一番大事なのは、「結果を出す」
一番大事じゃないのは、「自分のくだらないプライド」
それを公式にすると
「結果を出す」=「すべての作業」-「自分のくだらないプライド」 とか。
そんな感じで、それの組み合わせでいろいろと進めるわけですね。
そうすると、そこから引き算するものはたくさんあります。
「自分のくだらないプライド」のほかに、
「形式的なポジションの優劣」とか、
「ゴールのない会話」とか、
「感情」とか、
「既成概念」とか、、、
いろいろありますね。
「感情」は、プロジェクトの全体的な熱を生み出す為に、
有効な場合もありますが、出来れば「感情」より
「エネルギーもしくは熱」のほうがいいと思います。
まあ、そうやって要らないものを「引き算」していくと
必要なものがより良く見えていきます。
仕事も「プロジェクト」。
人生も「プロジェクト」。
いかに「引き算」するか。
自分自身も、今、日々意識して「引き算」していますが、
なかなか「引き算」は、簡単じゃなくって、
エネルギーを要すことなんですね!
ちょっと前まで「足し算」が大事だと思ってたのにね ☆
