$ディジュリどぅ
写真は禁止ですので、会終了後に雰囲気だけパシャ。
M&Mディジュ教室の生徒さんの息子さんはドイツ在住のバリトン歌手で、以前も何度か拝聴させて貰いましたが今回も素晴らしい歌声に大変楽しませて頂きました。

お母様も一緒、M&Mサポーターも(友人知人5~7人くらいだったっけ)一緒。
終了後には一緒に写真撮ったりしてちょっとミーハーも楽しみました。

実はご家族しか分からない「プロ」の立ち位置、とか譲歩とかがいろいろ聞けました。
自身の腕、声の大きさを十分発揮してはいけない状況、というのも大人ならプロとして分かる話。
でも、音楽とは、芸術とは、聴衆の前で披露する表現者としては、
「今日は半分の力で、、、」
というのは、余りに情けない、悔しいものだ、というのもミュージシャンとしてとっても分かる所です。(いきさつや状況はまた)

だとしても。この日の歌も、心のこもった、力の入った会場の外にまで響かせる気概の有る、(声量はセーブしていたとしても、なお聞える)一体となる為の素晴らしい歌声でした。

クラシカル的テクニックやオペラの伝統的技術、体格に頼らない体の使い方、悔しい要求に応えた上でなお伝えようとするメンタルの強さ。

専門家では有りませんが単純に「良い!」と感じられました。(当然その場の誰もが、たとえ身内の関連と言う過大評価を除いても、ソリスト4人中ブッチギリで一番良かったと言っていました)

歌は本来文学的要素が大きく「語り」によって伝える心情的な要素も重要ですが、当然ドイツ語のオペラは文字としての効果は(特に僕には)期待出来ない所です。

つまり何をどういう気持ちで歌っているのか文章として理解出来ない。と言う事。

これはM&Mサポーターもお母様も同じだそうです。(パンフレットに詩の内容や歌の解説も若干有りますが、歌っている最中にその節回しの詩の意味はわからない)

と言う事はまさに、声(喉)を使った楽器としての純粋な、表現力、メリハリ、カツゼツ、当然音程やリズム全てが文学的ではなく音楽的(さらには音響的)感動を伝える。
伝わり辛い部分が有るからこそ、伝える部分が重要になり、伝わった時の感動も大きい。
様に思います。

「何を歌っているのか具体的には分からなくても、涙が出る」様な感動。

いつか、もう少し深く、音楽の話が一緒に出来る時が来れば良いなぁと思いました~~