私の、父は昭和2年生まれで
終戦間際の時代、海軍に従事するべく
鳥羽の商船学校に学んでいた。

第二次世界大戦が、間も無く終わろうとしていた時期だった。
しかし彼等は終戦を迎える日が、すぐそこにあることを知らない。

父の愛する2個下の弟は、予科練に在籍していた。

日本国の敗戦が、近い時期に伝わることとなり
父も父の弟も故郷に戻って来ることが出来たのだ。

戦争イコール死んでいくであろう運命ん辛くも免れた弟だった。

帰郷したものの、しかし村の生活は決して恵まれた環境になかった。
それは敗戦後の日本中がそうだったんだろうと、推測が出来る。

とりあえず戦争という野蛮な日々から、みんなは
解放されたのだ。

しかし、それから生き延びるための毎日の糧を得るため、みんなは必死に生きていたんだろうと思う。


ある日、サンマ漁に向かう人たちがいた。
父の弟もその漁に参加することになった。
本人は楽しみにしていたようだ。

八丈島近辺まで船は進み、しかし急激に天候が荒れ始めた。

父の弟が乗船していた船の周りには幾つもの
サンマを求めていた船がいたようだ。

海は急激に荒れ始め、父の弟の乗っていた漁船は
転覆
12月の冷たい海に放り出された乗組員たち。

周りには何隻か他からやって来た漁船もいたらしい。
周りの漁船に助けを求める転覆した船の乗組員。


しかし、
その食料難の時代
周辺の漁船はたわわに群がるサンマに
ただただ夢中で近くに転覆しそうな漁船の救出などには
目もくれず、サンマの捕獲に夢中になっていて

助けて貰うこともなく 父の大事な弟は海の藻屑と
消えて行った。


秋刀魚より人の命が安かった(T . T)
そんな悲しい時代があるんだろうか?

何度考えて見ても納得がいかない。
ピンと来ない。

うちに飾ってある父の弟の写真を
彼を知ってる人たちが見ては
いい子だったよね。勿体無かったねと
言ってくれます。



今は父もその世界に逝ってしまったので
きっと、兄弟仲良く暮らしていると。
願って止みません。

私たち姉妹も叔父さんにお逢いしたかった。
時々、叔父さんの陰影と目を合わせては
思うのです。