平成7年
私は初めて裕へ手紙を書きました。
あなたとお別れしてから
もう31年の年月が過ぎましたね。
立派に成人したあなたを想像しようとしても
目を閉じればやはり6歳のままの可愛い姿しか浮かんできません。
先天性心臓疾患という不幸な病気を持って
生まれてきた裕ちゃん。
この世に生まれて
何の楽しみも味わえず
天に召されてしまった可哀相なあなた。
本当にごめんなさいね。
あなたの病気がわかってからは
お父さんもお母さんも随分悩み続けました。
大学病院で精密検査を受けたら
「ファロー四徴症」という難病で
手術をしなければ治らない、と言われたのです。
難しい病気の説明や
治療方法などのお話がありましたけど
頭の中が真っ白でボーっとしてしまい
何を聞いていたかわからず
ただ、ただ、
涙だけが溢れ出ていました。
でも医者の言われたひとこと
「手術をすれば・・」
そうだ、手術をすれば治るんだわ。
手術で治せるものなら何とか治してあげたい。
小学校へも入り、
普通の子どもと同じことができるようにしてあげたい。
それが親の義務でもあり
あなたへの償いだと思ったのです。
小さかったあなたの意志も聞かないで
手術をすることが
あなたを助けるたった一つの手立てだと確信を持って決心をしました。
若かった私たち二人は
理性を失っていたのかもしれませんね。
手術をするということは
どんなにあなたを
辛い苦しい目にあわすようになるのか
わかっていながら・・。
でもきっと
元気な体で家に帰れると信じていましたので・・。
あの頃は心臓の手術ができる病院も限られていました。
新聞で心臓外科医の世界的権威と言われる
榊原教授が東京女子医大におられることを知り
お父さんがあちらこちらを奔走して
やっと紹介状を書いていただける方を探しあて
特別に診察していただいたのです。
おかげですぐ入院が決まりました。
二ヶ月以上も入院し
いろいろなつらい検査にも耐えて
やっと11月4日に手術と決まりました。
一人で手術室へ入っていくとき
さぞ心細く淋しかったでしょう。
何かを訴えるような目で
じっと私たちを見つめていましたね。
お父さんはあの時の裕の目が脳裏に焼きついて
その時の話が出ると
淋しそうな裕の目が浮かんでくる、と言って
声を詰まらせています。
何時間もかかった大手術でした。
控室で待っていた私たちは
時間が経つにつれ心配で動悸が激しくなり
ただ神に祈るだけでした。
でもあなたは帰ってきませんでした。
小さな灯火が
天のお星さまとなって飛んで行ってしまったのです。
とうとうあなたのつぶらな瞳は
開いてくれませんでした。
お父さんもお母さんもどんなに後悔し悲しかったか
今でもあの長い長い一日を思い出すと涙が溢れてきます。
さぞ痛かったことでしょう。
本当にごめんなさいね。
でもあなたは
私たちがいつまでも嘆き悲しんでばかりいてはいけないと
天国へ旅立って行くとき
可愛い弟や妹を授けてくれましたね。
あなたの生まれ変わりのような弟
そしてそのあとすぐに生まれた妹
ともに、健康で良い子に育ちました。
今は二人ともこの家から巣立っていき
それぞれが立派な家庭を築いていこうと努力しています。
きっと天国から見守ってくれているのでしょう。
現在はお父さんと二人きりです。
あなたの面影を守りながら
そして皆が遊びに来てくれるのを楽しみに
毎日元気で暮らしています。
どうぞ安心してください。
あれからおじいちゃん、おばあちゃん、
そしておばちゃんまでもそちらの世界へ旅立っていきました。
皆と逢えましたか?
どうぞ、
皆に可愛がってもらって
仲良く暮らしてくださいね。
初めてペンをとった母より。
天国にいる裕ちゃんへ。
この手紙は、平成7年の水曜学級生の文集「わだち」に投稿しました。
※水曜学級:富士見市鶴瀬西交流センターの高齢者サークル