昭和38年

縫製工場の社長のお嬢さんにお願いして

東京女子医科大学 榊原教授の

特別診察の紹介状を頂くことが出来ました。

 

新聞に載っていた榊原教授です。

私たちにとっては遠い遠い存在なのに

なんと幸運なんでしょう。

「これで裕は助かる」と思いました。

 

そして診察の日。

榊原教授は裕を診察し

「すぐ入院して検査をしましょう」とおっしゃいました。

近くにいた看護師さんに

「病室は空いてますか?」と聞きました。

「今、個室が一部屋空いています。」

 

えっ?個室?

こんなに大きな病院の個室だなんて

いったいいくらかかるのかしら?

少しずつ貯金をしてはいたものの

私たちは決して裕福ではありません。

早く検査を受けさせてあげたいけど・・

どうしましょう・・。

 

すると榊原教授が

「こんな小さな子どもが個室ではかわいそうですね。

では小児病棟の大部屋が空いたらご連絡しましょう。」

なんとお優しいんでしょう。

裕のことを考えてくださいました。

私も内心ホッとしました。

 

そして2週間後に大部屋が空いたとの連絡がきて

入院生活が始まりました。

私も付き添いのため一緒に病院へ泊まり込みました。

 

同じお部屋の親同士、世間話をしていると

榊原教授を求めて

全国から来ていることがわかりました。

畑を売ってきた、と話す方もいました。

 

このころ、裕は少し体力が落ちてきていました。

「裕くん、明日検査ですからね」と言われると

熱が出て検査ができないという状態が何度も続きました。

あるときは肺炎をおこし

呼吸困難になってしまいました。

気管切開をし、時々痰をとってあげなくてはいけないのですが

私はどうしても恐くてできず

看護師さんを呼んでお願いしていました。

 

状態が安定したときを見計らって

検査は進められました。

普通なら1週間ほどで終わる検査でしたが

2カ月以上もかかりました。

いくつもの辛い検査にも

裕は細い小さな体でよく耐えていました。

 

そして手術の日が決まりました。

昭和38年11月4日

裕6歳。