昭和30年

神戸の爪楊枝会社に勤めて2年が経ったころ

会社の経営は徐々に悪化してきました。

この頃は就職難でしたので

仕事を探すのも大変でした。

 

東京では仕事を求めて人々が殺到しているような状態でした。

神戸に残るか東京へ戻るか悩んでいましたが

東京にいる私の両親から

「近くにいれば何か手助けもできるから、東京へ戻っておいで」との

手紙をもらい、私たちは東京へ戻ることにしました。

 

善さんは運転免許を持っていたので

運良く運送会社のドライバーのお仕事がすぐに決まりました。

「ペンより重いものを持ったことがないのに大丈夫なのか」と

私の両親に言われましたが仕方ありません。

しかし、しばらくすると社長の息子さんに、

大学を出ていることを買われ経理のお仕事を任されることとなりました。

 

昭和32年

待望の第一子、裕(ゆたか)が生まれました。

初めての子育てで不安もありましたが

とにかく可愛くて可愛くて仕方ありませんでした。

産後は少しの間、実家に戻っていました。

 

なにかおかしい・・。

 

裕はあまりおっぱいを飲みませんでした。

きっと初めての子だからお乳の出が悪いのよ、と周りから言われ

涙が出るほど痛いマッサージをしてもらいました。

しかし、母乳は出ているはずなのに少ししか飲んでくれません。

 

母乳が嫌なのかもしれないと思い、

ミルクをあげてもやはり同じでした。

小食な子なのかしら・・。

 

そして1カ月検診。

この時の検診は身長と体重のみの計測で

医師の問診はありませんでした。

お乳を飲む量が少し少ない程度で、特に問題はないと思っていました。

 

裕が3カ月になったころ

風邪をひいてしまったようで

近所の病院へ連れて行きました。

先生が聴診器を当てると

「心臓に雑音が入る」とおっしゃり

即座に大学病院を紹介されました。

 

東京慈恵医科大学付属病院に行き診察してもらうと

「ファロー四徴症」という診断でした。

心臓の病気です。

そして先生から

「手術が必要です。

しかし今はまだ小さいので

2~3年後にならないと手術ができません」と言われました。

 

何を言われているのかわかりませんでした。

ショックで頭は真っ白です。

 

手術?

なんで裕が。

まだこんなに小さいのに・・。

でも手術すればきっと治る。

大丈夫。

きっと治る。

 

60年以上前のことです。

この頃はまだ心臓手術の症例はあまりありませんでした。

周りには研修医の先生がたくさんいたと記憶しています。

 

 

 

裕は、激しい運動以外は普通に生活が出来ました。

公園、動物園、遊園地と

いろいろなところへ連れて行きました。

 

運送会社の社長の息子さんが、

家にいることが多い裕のために

中古のテレビをプレゼントしてくれました。

この頃、まだテレビは珍しく

裕も、とても喜んでいました。

 

数年後、新聞にある記事が載っていました。

 

東京女子医科大学の榊原教授による心臓手術

裕と同じ病気の症例でした。

 

この先生なら

きっと裕を助けてくれる。