結婚
昭和26年
ある日、社長の息子の善(ぜん)さんからメモを渡されました。
「一緒に新宿御苑に行きませんか?」
忘れもしない4月7日、初めてのデートです。
母親にそのことを話すと、
お弁当に海苔巻きを作ってくれました。
桜は散り始めた頃でしたが、八重桜がまだ少し残っていたと記憶しています。
その日は、恥ずかしくてあまりお話もできないまま公園の中を散歩し
お弁当を食べて帰ってきました。
その後、浜離宮や飛鳥山公園などへもたびたび出かけ
帰りにはラーメンを食べる、というデートコースでした。
善さんの家はお手伝いさんが二人もいて
家での食事はみんなバラバラ
私の家は決して裕福ではありませんでしたが
たくさんのおかずが並び
家族みんなで食卓を囲んで食べていました。
善さんはそんな家庭がうらやましかったのか
毎週日曜日は私の家で一緒に夕飯を食べるようになりました。
そんな楽しい時を過ごしていましたが、一つ悩みがありました。
このお付き合いは会社の人には内緒にしなければなりません。
善さんは社長の息子
私はごく平凡な家庭の娘。
身分の差があります。
メモを渡すのも誰にも見られないように
私たちは必死に隠しながらお付き合いをしていました。
しかし後で聞いたら
会社の人たちはみんな知っていて、
二人の付き合いを祝福してくれました。
昭和28年
善さんは大学を卒業しました。
ワンマンだった父親に反発してか
父親の会社には入らず、親戚のおじさんが経営している
神戸の爪楊枝の会社へ就職することになりました。
最初は一人で行き
生活の見通しが立った1年後迎えに来てくれて
晴れて結婚し一緒に神戸へ行くことになりました。
住まいは神戸市長田区のタバコ屋の2階でした。
アパートは古くて狭いところでしたが
そんなことは全く気にならず、楽しい新婚生活が始まりました。
近くに長田中央市場がありました。
そこで働いている方たちとも顔見知りになったある時、相談を受けました。
子どもたちが学校から帰ってきてから
市場に来てウロウロしたり遊んだりしてしまい困っている、と。
「放課後子供たちの宿題を見てほしい」と言われ
私も仕事をしていなかったため時間もあり
教えることは好きでしたのでお受けすることにしました。
借りているお部屋なのでタバコ屋さんに許可を取り
子どもたちには階段の上り下りや
お部屋の中でバタバタしないようにと
きちんときまりを作りました。
そして放課後になると5~6人の子どもたちが宿題を持って
タバコ屋の2階に集まるようになりました。
平成7年
阪神淡路大震災
長田区は甚大な被害で
市場も全壊したとテレビのニュースで見ました。
驚きと悲しみで涙が溢れました。
勉強を教えていた子どもたち
そのご家族
タバコ屋さん
長田区でお世話になった皆さま
どうかご無事でありますように・・