戦前戦後の街(神戸・明石)

少し戻りますがこの頃の街の様子についても書いておきたいと思います。

 

昭和19年、私が神戸市立第一女子商業学校に通っていた時に

「珠算能力検定試験」が始まりました。

記念すべき第一回だったので

先生から「みんな合格できる級を受けるように」、とのことで

私は3級を受けました。

 

終戦直前、学徒動員で神戸の電話局に行っていたのですが

ふと、お昼ご飯はどうしてたのかしら?と思っていましたら

思い出しました!

雑炊をベークライト(今のプラスチックでしょうか)の器に入れて出してもらっていました。

 

ベークライトの写真はありませんでした。

写真は交換手研修の終了証と表彰状

 

昭和20年、3月頃から大都市への空襲が始まりました。

 

私たち家族は明石に住んでしました。
空襲は都市を順番に襲ってきたのです。

 

夜、外に出て周りを見渡すと真っ暗な街に遠くで炎が燃え盛り

一瞬、「綺麗、花火みたい。」と思ってしまいました。

もう感覚が麻痺していたのでしょうか?

不謹慎なこの感覚はもちろん

今まで一度も言葉に出すことはありませんでした。

 

 

終戦直後の街は悲惨なものでしたが

以外にも復興は早く感じられました。

どんどんお店が出来たのです。

 

駅の近くは闇市がたくさん並び

いろいろなものを売っていました。

5円10円ぐらいだったか、とても高かった記憶があります。

 

また、いなかから出て来た子どもたちが

街でおにぎりを売っていました。

私は神戸の学校に通っていたとき

どうしてもお腹がすいていたので

高かったのですが買ったことがあります。

普段食べられないご飯のおにぎりだったので

とても美味しかったことを覚えています。

 

また、駅前には傷痍軍人さんたちが立っていたり

進駐軍相手にパンパンと呼ばれる女性たちも街頭にいました。

みんな生きていくために必死でした。