3人の子どもがいて真ん中がマサ(男)。
今年24歳になりました。
就職して2年目。
最近、少し貯金もできたようで家を出る準備をしています。
泣き虫だったマサが20歳になったときに私が書き留めた
データ(日記みたいなもの)が出てきた。
2015年1月31日(土)
今思えば、小さいころは大変だったが
印象に残ってることが多いっていうのもいいことなのかな。
その時の私は、必死だったけど・・(^_^;)
とにかく人見知りが激しく
予防接種や検診など行っても、ずーっと泣きっぱなし。
先生や看護師さんの顔を見ることもなく、ずーっと泣きっぱなし。
いつも押さえつけられてなんとか終了させる。
公園に行っても、お友達のいないところをわざわざ選んで遊ぶ。
そこに誰か来るとまた別の場所へ行ってしまう。
もしかして自閉症?と言われたこともあった。
まぁ、なんと言われてもこの子の個性だし。
3歳の時、元夫の転勤で大阪府池田市に移った。
1年後、マサを年少から幼稚園に入れよう、と決めていた。
4月生まれだし、タカ(弟)も生まれていたし、
私から少し離れたほうがいいのではないかと思ったのと
保育のプロに預けてみようと思ったからだ。
家から200mぐらい先のマリア幼稚園。
もちろん徒歩である。
しかし、家から出ようとしない。
抱きかかえようにも結構重いし(大きかった)、1歳10カ月のタカもいる。
なんとかなだめすかし30分ぐらいかけて到着。
教室の前の柱にしがみつき帰って行く私に
「ママ~~~」と泣き叫ぶ。
幼稚園の先生は慣れているので私も逃げるようにさっさと帰りお任せする。
これが毎日続く。
教室では最初は椅子にも座らず、
一人でポツンとただ泣きながら終わる時間を待っていたようだ。
初めのころ、まだお弁当が始まる前、
慣れるためなのか、おやつの時間があった。
先生がひとりひとりにクッキーを配る。
大好物である。
しかしマサは無言で頑としてもらわない。
その話を先生から聞いたとき
「食べる」という行為はリラックスしていないとできないことなんだ。
考えたこともなかったけど、教えてもらった。
案の定、その後、お弁当が始まってもやはりほとんど手をつけずに帰ってきた。
毎朝、戦いだった。
意外とスムーズに行く日と
全く動こうとしない日を繰り返していた。
ある時、私も疲れてきて
「じゃあ、今日は休もう」と思い幼稚園に電話をした。
先生はなんと
「迎えに行きます。」と言ってくれた。
嬉しかった。
この子の為にわざわざ忙しい時間に迎えに来てくれるなんて。
先生はすぐに自転車で迎えに来てくれた。
マサは、太った大柄な先生に抱きかかえられ
嫌がってはいたが、
自転車の後ろに乗せられ、
泣き叫ぶことなく振り返りもせず
まな板の上のコイ状態で幼稚園へ行った。
お迎えの時に先生はおっしゃった。
「最初から嫌がっている子は大丈夫です。とにかく来てください。
途中で嫌がる子のほうが厄介です。
お友達関係やいろいろ問題があることが多いんです。」と。
そうか。泣いても連れて行っていいんだ。
今まで嫌がる子を連れていくことにちょっと不安もあった。
そこまでして幼稚園に行かなきゃいけないのか。
なにも年少から入れる必要なかったのではないか、と。
でももう迷わない!
なにがなんでも幼稚園に通おう、と決心した。
そんな子だったが、不思議なことに活発なお友達ができる。
まず合わないだろうと親たちは思うがこれが仲良くなる。
2人いるのだ。
この子たちがマサにとってターニングポイント的な存在になっていたような気がする。
幼稚園では「たっくん」だ。
正直、しつこいぐらい遊びたがる子だった。
毎日毎日、幼稚園の帰りにうちに寄る。
いつも元気で、大きな声で
自分の意見をはっきり言う子。
たっくんと遊んでて楽しいのだろうか?と思うが
マサも断るわけでもなく受け入れる。
もしかしたら、その強引さが嬉しかったのかもしれない。
たっくんのおかげで私もたっくんママと仲良くなれ
大阪の生活も、楽しくなってきた。
マサもたっくんのおかげでさらに友達ができ幼稚園にも慣れてきた。
しかし、残念ながら半年経った頃、また転勤になり東京に戻ることになった。
大阪の生活は、たった1年半なのにこんなに覚えているなんて
とても内容の濃い1年半だったのだろう。
3人子供がいるが、マサにはじまりマサに終わった大阪生活であった。
東京に戻り、年度の途中で転園となったので
近くの幼稚園で入れてくれるところを探し、
今度はバスで通うことになった。
やはり前と同じで着替えもまともにせず
みんなの輪のなかに入ることもせず相変わらずだった。
そして年少締めくくりのお遊戯会があった。
うそ・・
踊ってるじゃん・・。
涙が出た。
なんだやれるじゃん。
ちゃんと覚えて踊っていた。
嬉しかった。
踊ってるってことはみんなと一緒に練習したってことだよね。
できるんだ・・。
転園して初めは
幼稚園のバスの集合場所まで必ずおんぶして行ってたが
年中になると「もうしなくていい」と言った。
なるほど。
この子は1年のスパンで自分の中で区切りをつけているようだ。
そして年長になったらタカも幼稚園に入り
もう嫌がってはいられなくなった。
というか、嫌がらなくなった。
今度は幼稚園でやっているサッカーに入りたい、と言った。
どうぞどうぞ!
自分からやりたいと思ったことは、なんでもやらせたかった。
そして夏にはプール教室があってそれにも参加し、
なんと水泳を習いたい、と言いだした。
びっくりである。
太っているから運動が嫌いなのかと思ったらそうでもなく
意外に活発な面が出てきた。
真面目に休むことなく6年生まで続け、結局最終のバタフライまで習得した。
コーチにきれいなフォームですよ、と褒められもした。
そして小学校でもう一人のターニングポイントのマサフミ君と出会う。
彼は1年生の時の席が前後で話し始めたらしい。
とても活発な子だ。
マサは相変わらず人見知りだが、
またもや、なぜかマサフミ君と仲良くなり一生の友(たぶん(^-^;)になるのである。
そのころ、私が仕事を始め
マサを学童に入れることになった。
最初こそおとなしかったが、この場所が安心できる場所だとわかると
だんだん慣れて自分を出せるようになってきた。
体の大きいマサはそこで実力を発揮することとなる。
ドッジボールである。
強いボール、早い鋭いボール、
一躍ヒーローになる。(ちょっと大げさ・・親バカです。(^_^;))
1つでも自信が持てるようにと水泳を始めたが
もうひとつ自信を持つことができた。
そして学童の帰りも、1年目は必ずお迎えに来て、と言っていた。
しかし、2年目になると一人で帰るといい、
3年目はタカを連れて帰るという役目ができ
真面目にしっかりこなしていた。
これも1年ごとのスパンである。
言ったことはきっとやってくれると思い
私もそれを信じることにした。
その後、私は職場で偶然マサフミ君のママと出会い
以前から興味を持っていた「ボーイスカウト」に入ることとなる。
私にとっても一生の友との出会いである。
ボーイスカウトはタカも一緒に入り
いつも日曜日は3人で出かけることになった。
とても楽しく新鮮で私のほうがはまっていたように思える。
マサは相変わらずの人見知りだが(このフレーズ何回てできたことか)
真面目なマサは休まず活動に参加し、いろんな体験をさせてもらった。
実は私が男の子二人をどう育てていったらいいのか、と不安があったのだ。
できればのびのびと外で遊んでほしい、と思っていた。
体験で行った時、ハイキングと魚釣りだった。
楽しかった。
暑い夏の日だったが、長い距離を歩きながら、道端の草花や建物、
いろいろ見ながら話しながらハイキングをした。
そして手作りの釣竿で魚釣り。
構いすぎず、安全に楽しく活動をさせてくれた。
ボーイスカウトはマサにとっても重要な活動になった。
そして今も続けている。(ほぼ幽霊会員?)
年代や学校の違う子との班活動・キャンプ・奉仕活動。
積極的に活動していたようには思えないが(^_^;)
淡々と自分の中に取り入れているようだ。
スキーもSIAのシルバーを取得できた。
またひとつ自信がついた。
それから小学校低学年では
太っていたのでカウプ指数が高く、
1年生と2年生のとき区から再検査の通知がきていた。
講師の方のお話を二人で一緒に聞いて
本人もこれ以上太りたくないと思ったようで
教えてもらったことを忠実に守っていた。
初めに汁物・野菜を食べ、おかずはなんでもOK、ご飯は1膳。腹八分目。
牛乳は1日200ccまで。
あとは運動(これはドッジボールがあったのでOK)
もともと、お菓子はあまり食べないし
ジュースもあまり飲まない。いつも麦茶。
これを実行していたら、身長が伸びるので体重は現状維持のまま。
徐々に普通の体型になった。
本人の努力によるものだと思う。
その後、中・高・大学と進み今に至る。
先日、私が具合が悪くて朝唸っていたら
その日朝一で授業があったマサが
救急車呼ぼうか?と聞いてきた。
タクシーで、とお願いし、呼んでもらい、
病院まで一緒に行くよ、と言ってくれた。
大したことじゃないかもしれないけど
不安だった私にとっては
ありがたい言葉だった。
大人になったもんだ。
頼もしくなったもんだ。
二十歳だもんね。
そのタクシーの中で酔って気持ち悪くなったことは
なかったことにしておくわ。
最後まで読んでいただきありがとうございました!(#^^#)
とうとう家を出るのか~。
やっぱりちょっと寂しいです。