あちこちでPDCAは時代遅れ
そんな言葉見られる
知っての通り
Plan(計画)
Do(実行)
Check(評価)
Action(改善)
と言い表されている。
そんなもん知ってるわー!
そう会社でも行政でも
そんな言葉が使われていて
こいつを回す回す
目が回るくらいに回す
そして目が回って倒れる。
これも確かに機能した時代はあった。
O型の典型的な血液型の私
正直無計画
設計図面は読めず
取説もちんぷんかんぷん。
昭和の佐渡島
従兄も兄たちもそろって
タミヤのプラモデルにはまってた
そんな中で皆はきれいに
パーツが残らないが
私はどうしてもパーツが
わんさか残ってしまう
20メートルも向こうから見れば
カタチは出来ている
でも近寄れば欠落してる
セメダインで間違ってつけては
とってやり直しするから
べたべたと汚い
砲身が動かない
これじゃー戦場では戦えない。
プラモデルは向いてない
だから篭を腰に巻き付け
箱眼鏡を持って
ヤスを携え海に行く
海に行けば出たとこ勝負
だからサザエやトコブシを採り
巨大な真っ赤なタコとも遭遇する
そんな自然の中に身を置いて
育ったのである。
ほら無計画に書くから
いつも主題から逸れる。
PDCAね
プランは直感で設計図にない
ある意味Dからしか入れない
予感
予測
予定
ポジショニング
アセスメント
そんな順序
だから失敗もたくさん
人生もそうだから
それは自分の生き方。
さーコロナ後の新しい日常
新しい生活様式はーーー
なんて言っている間に
世界のフロントランナーたちは
コロナ前から着々と
Dからすでに始めていた
日本の技術は世界イチ
なんて言っている間に
世界に取り残された
それが実感であろう
それでも中流時代の栄華を懐かしみ
かならずまたそんな風に戻れる
そんな幻想のなかで暮らしている。
私の基礎的思考の要素は食である
そして自然の中で育った佐渡島が
食の原点であり
自然の中で自由奔放に暮らし
風光土水と深く関わって
自分の体が組成されていることを
一番感じる
結局のところ
またもや現在
Dから自然との関わりの
仕事を始めている。