ワカメとジャガイモの味噌汁 | 佐渡の食と佐渡の食文化

佐渡の食と佐渡の食文化

生まれ育った佐渡の郷土の食や素材や料理法など綴っています。昭和の頃食べた伝統的な料理や素材にまつわる家族や村の話など交えて記憶に残る景色を綴っております。
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今は統廃合され校舎はなくなった

佐渡島の北端にある外海府の中学校を

卒業することになった。

赴任してきたパワフル女性教師は

大学でバスケットをしていたらしく

176程のタッパがあった私に

高校でバスケを目指せとトレーニングシャツを

卒業の祝いにくれた。

 

私は野球小僧でしたが

へなちょこでとろいまっすぐと

へなちょこカーブしか投げられない

へぼピッチャーでした。

カーブを投げ過ぎて右の肘が極端に

曲がって腕を伸ばすと激痛が走り

球を投げられない状態でしたので

パワフル先生が勧めるバスケをやろうと

考えていた。

 

高校に入学してバスケ部の練習を見学して

いたときのことである。

バスケの室内練習場の横はグラウンドで

当然野球部が練習をしていた。

前年に全国大会まで進出した実績がある

野球部だったらしく気合十分

バスケ練習見学途中でふとグラウンドの

野球部の練習を見ていたときに

軟式のボールのこぼれ球が転がって来た

返球をしたときから私の高校における

全てが変わってしまった。

 

中学三年のときに佐渡島の中学校の駅伝

がありその選手に選ばれてしまい毎日

中距離の走り込みをしたせいか

何やら曲がった腕でも球が速くなって

しまっていたらしい。

 

野球部の監督がわざわざ私の前に来て

(どこの中学だ?)

(野球をやらないのか?)

(腕がまがって痛くてだめなんら)

(見せて見ろ)

(大丈夫だ直せるからやってみないか)

 

女性教師の卒業祝いのバスケットの

練習着は寝間着に変わった。

 

何せコントロールがハチャメチャ

だから対戦相手は球を絞り込めない

それでいてまっすぐしか投げられない

カーブは封印した

球は速かったと思う。

対戦相手は始末に負えない投手だろう。

荒れ球はそうそうそう打てない。

何を勘違いしたか1年生の秋には

1番の背番号を背負って

参考記録ながら二試合連続の

ノーヒットノーランをやらかし

人生における勘違いの生き方をして

しまった。

 

そうそう題名がワカメとジャガイモだった

実家から一時間ほどバスに乗らないと

学校には行けないので昭和50年代の

外海府の学生は下宿(ご飯付)か

自炊の宿借りかどちらかであった。

 

悪ガキ三人が高校に行くのだから

我が家は自炊の宿借りであった。

初めて自炊を始めた時の夕食は

家から持ってきたイカの山椒漬けと白いご飯

そしてワカメとジャガイモの味噌汁で

白いご飯を二杯食べた

貴重な自炊初日の献立であった。