幸せに近づこうとするのは罪ではない、とも仰っていました。

過去に犯した罪のことを考えて暗く生きるよりも、ひたむきに幸せに生きるのがいいと。


でもそれってなんか、ずいぶん加害者よりじゃないえー?とか思ってしまうのですが…


仏様曰く、罪の帳尻は自分で合わせることになるそうです。

ツケは必ず払うことになり、誰か他の人に肩代わりしてもらうことはできないそうです。

人の目には見えないが、必ず罪の代償を払うことになる。何年かかっても、何度生まれ変わっても、必ずそうなる、だそうです。

人生って本当に自分と1人きりなんですね。


「誰もが幸せになる道の途中に生きている。

そうは思えない人生でも、いずれ必ず、幸せになる。何世紀かかっても、いつか必ず幸せになり、己の望みを達成する。

スタート地点が違うのに、同じゴールテープが切れないことを誰が責めよう?

それぞれがそれぞれの場所で、ただ懸命に生きればよい。人を貶めず、自分を蔑まず、自分がするべきことをするとよい。泣きたい時は泣き、怒りたい時は怒り、己と向き合いながら、進むべき道を行くとよい。」


仏様は一体今までどれだけのものを見てきたのでしょうか。きっと救えぬ所まで落ちた者もいたんだと思います。その末路を、どんな気持ちで見送ったのでしょうか。

涙が出るほど慈悲深く、ふところの広い仏様の世界なのでした。