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今世の私は、たいしてよく視える人間ではありません。
感じることはあっても、はっきりくっきり強烈に視えるということはないです。
2歳くらいまでの間はありとあらゆる魑魅魍魎を見た気がしますが、脳が未発達なので視覚としてはまったく覚えていません。
なので怖いものを見ずに大人になれました。
本当にありがたいことです。
ふと、視えない人生に言いようのない幸福感を感じることがあります。
視えてしまうせいで生活に支障をきたすことがないのです。
幸せ〜〜〜〜〜!![]()
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と思います。
過去世が相当大変だったのだなと苦笑いしつつ、この人生は過去生の自分の心からの願いが叶った人生なんだなぁと、しみじみ幸せを享受しています。![]()
ついでにもう一つ覚えている、視える時代の過去世として、平安時代の人生があります。陰陽師的な人です。
それなりに身分が高く、いい暮らしをして、長生きもしました。晩年は山の上のほうの家で暮らし、遠くに見える山々の間を龍が泳いでいるのをいい気持ちで眺めていました。
この方は今は私のガイドとしてついてくださっています。(結びのおまじないを教えてくれたのもこの方です
)
この方は平安時代の山々はとても美しかったと言います。大地のエネルギーが今ほど拗れておらず、草木がひねくれずにそのエネルギーを通して育つので、オリジナリティがありながらも調和していて、とても美しかったそうです。
また、雨の音も美しかったです。今は雨が当たるのは家の屋根やアスファルトなどの人工物ですが、当時は葉っぱや土でしたから、今よりもっと音が丸くて波動が高かったといいます。それは美しい音色だったそうです。雅やかないい時代でした。
この時代には、視える能力が苦しかった記憶はありません。
色々な魑魅魍魎を相手に仕事していましたし、恐ろしいものも沢山見たはずですが、視える能力を恨んだことは一度もありませんでした。むしろ面白いとすら思っていました。
もしかしたら、昔の日本では、視える能力はそこまで珍しいものではなかったのかもしれません。
覚えている中でなかなか幸せだったなと思うのはこの人生です。
思い出すとちょっとほっこりします![]()