中国式クリスマス🎄✨
今回は御高名な歴史の先生、平井美津子先生に付いて回るツアーなので上海に三一独立運動後にできた『大韓民国臨時政府記念館』へ。
以下、平井先生のお言葉コピペ

1919年3月1日、朝鮮の人々は日本の植民地支配を脱却し、自由と民族独立を回復するために、全民族をあげた抗日運動を展開した。代表たちは「韓国は独立の国、人民は自由の民」と宣言し、漢城など各地で大規模な抗日運動を展開した。この三・一独立運動の後、独立運動を継続するために、1919年9月に上海において成立したのが大韓民国臨時政府だ。
日本による弾圧と内外情勢の悪化によって、臨時政府の活動は一時的に停滞することもあったが、臨時政府は難局を打開するため、1932年韓人愛国団のイ・ボンチャン、ユン・ボンギルらが立ち上がった。臨時政府は日本による捜索から逃れるために上海を離れ、中国各地を転々とし、1940年に重慶に到着した。
アジア太平洋戦争勃発後は、大韓民国軍は日本とドイツに宣戦布告を発し、対日戦争に積極的に参加し、大韓民国復活の直前まで民族独立のために戦った。
大韓民国臨時政府は、大韓民国史上初の民主共和制政府であり、その成立から大韓民国復興後の復帰に至るまで、対日独立闘争における民族の代表機関として、また暗黒時代における民族精神の支柱として機能した。
また、これらの活動には中国国民党政府の大きな援助があったことを抜きにはできない。
この記念館の場所は、大韓民国臨時政府が1926年7月から1992年4月まで臨時政府庁舎として使用したところだ。記念館は韓中両国の協力で1993年4月13日に復元され、2001年12月に全面補修し、展示施設を拡張して歴史史跡に生まれかわった。
1945年8月の日本の降伏後、臨時政府は中国での27年間の抗日闘争を終え、祖国に帰国した。

 朝鮮の人々と中国の人々にとって日本の追放こそが共通の目標だった。当時、中国政府は韓国の独立運動家たちの独立運動を継続的に支援した。他にも臨時政府の党政軍運営費及び独立運動家の家族生活費などを支援した。
重慶時代には、臨時政府の政務費支援が6万元から300万元まで増加し、1945年、金九など臨時政府要人が光復後に帰国する際には、当時中国政府が発行した法定紙幣1億ウォンのほか、20万ドルを援助した。
27年にわたって、朝鮮の独立運動家たちは中国国民の大きな支援を受け、韓中両国国民は抗日闘争の歴史の中で深く厚い友情を結ぶことになったといえる。そのことを両国の人々が忘れないための記念館なのだ。
記念館の向かいはファッショナブルな店が立ち並ぶ地域で、Christmasに賑わっていたが、道を挟んだこの地域にも多くの中国人が訪れていた。中国語と英語、ハングルの説明しか無く、写真を撮ることも許されなかった。日本人は私達だけだったような気がする。日本人向けのガイドブックにはもちろんない。しかし、アジアにおける日中韓の関係を考える時、日本人こそが見る必要のある場所だと思う。
古い歴史的建造物たち。いまはホテルとして利用されています。


和平ホテルの超凝ったクリスマスモニュメント。
カルーセルは回ってたよ🎠
チョコケーキ。
サンタクロース🎅
イエーイ🎅🎄✨
超たのしー🥳
ホテルの歴史なんかもみてみた。
中国の子どもたち👶
毛沢東さん!
レコードやら当時使われていたもの。
日本のバレー選手たちも❗
1930年頃の外灘
上海は別格ですわ
圧巻、桁違い、別世界、未来都市、ダントツ

租界の土地として古くから栄えた町。
他の中国都市とはぜんぜん違います。
つか
中国広すぎっ❣️