このPWの合体したようなマークがワルシャワ市内あちこちで見かけます。
ドイツ軍からの破壊を免れた建物のことで、自由や平和のシンボルです。
1940年11月にドイツ占領軍によりユダヤ人は307ヘクタールのこの壁で隔たれた地域↓(ゲットー)に隔離されました。
ゲットーはドイツ軍によりさらに狭く締め付けられます。
境界は壁で仕切られていました。この壁はユダヤ人が作らされていました。
なんと屈辱的なことでしょう。

当時の写真。
人口が密集していました。
このゲットーにワルシャワのユダヤ人36万人が住まわされ、ほかの地域から9万人がさらに連れて来られて住まわされました。
こちらも壁が温存されています。
45万人のゲットーに住まわされたユダヤ人のうち10万人が餓死しました。
道路の印はここからゲットーである境界線です。
有刺鉄線の柵のあともあります。
1942年夏の間に30万人がトレブリンカ収容所のガス室で殺されました。
1943年4月にゲットーの市民は蜂起し戦ったが1ヶ月もしないうちに建物は焼かれ多数が殺された。
その11月には残ったユダヤ人たちを周囲の収容所に連行し殺害した。
このゲットーに住んでいたユダヤ人のほとんど全員が死んでしまい生き残ったのはほんのわずかであった。

ここはユダヤ人たちが苦しみ、戦い、滅びた記念の場所です。

ポーランド料理のピエロギ。
具材は多岐に渡るのですが、小麦粉の皮で包んで加熱する食べ物。
ほうれん草とチーズのピエロギ。
ポーランドの国民食です。

では通勤ラッシュの地下鉄でバスターミナルへ。
ワルシャワの北側のバスターミナル。
ここも不意打ちの爆撃で荒野と化した場所です。
では5時間バスに乗ってグダニスクへ❣️

港町、グダニスクに到着。
王室の礼拝堂
こちらが聖マリア教会。1502年に完成したゴシック様式のローマカトリック教会。

天文時計 (1464-1470)。この時計は 16 世紀半ばまで稼働していました。
カレンダーは3つの文字盤で構成されています。最大のものは放射状に 365 のセクションに分割されており、日を同心円状に 22 の円に分割されている。 1463 年から 1538 年までの合計 3005 件のデータがあり、個々のサークルには、曜日、恒久的な祝日の日付、などが含まれます。
書いててもはやなんのことかこれこそ『天文学的』
12星座です。
アダムとイブが00分になると鐘を打ちます。
絵画「最後の審判」の複製(19 世紀)。
ナポレオンに占領されてフランスのルーブル美術館に、その後ドイツ軍に占領されてドイツ、のちエルミタージュ美術館に運ばれました。
戦争では芸術作品や美術作品も多数奪われています。
向かって右側は『地獄の底にいる呪われた人たち』です。真ん中の人は命の重さを計っています。

聖堂です。

長年グダニスク市長を勤めたポウエルアダモビクスの墓。避難民だった彼は人生をマイノリティや移民に捧げました。
日本でこんな政治家が(いるにはいるけど)選ばれることも記念にされるのも見たことないです。
弱者を締め付ける権力者ばかりが猛威をふるってるから年中失言の嵐。

きんきらきん✨✨✨✨
パイプオルガンも豪華絢爛✨✨✨✨
この教会建てるのに160年もかかったみたい。ひょえー。
生まれたての赤ん坊のそのひ孫も完成見られへんという。