時間がなくゆっくり見て回れずもう走り回ってます🏃
アウシュヴィッツ初期の頃は藁の上に重なりあって夜を過ごしていました。
写真にあるように収容者古参者が排泄の時間を短くしたりなど様々なルールを作って命令したりもしました。
虐げられている人たちの中でまた虐げる順位を作る。

排泄場所は収容人数に比べて不足していました。
衛生設備も十分ではありませんでした。
秩序維持責任者、なんと古参の収容者いわゆる棟監の住居です。

奴隷の中でも奴隷を統括し始め主人に手なづきおこぼれをもらう。

私も命のためならしないとは言えないかも。
収容者が増えるにつれ3段の簡易ベッドに変わりました。

もう1つの簡易便所。

藁の敷かれた部屋。
奧に生還した元収容者による収容所の実態を描いた絵があります。
健康そうなドイツ人が痩せた収容者を蹴ったり鞭打ったり強打したりしています。
実際親衛隊の暴力により何人も死んでいます。

10号棟では人体実験が行われていました。
ドイツ人産婦人科カールクラウベル博士は、数百人のユダヤ人女性に断種実験をしました。実験中に死んだり解剖のため殺されたりしました。
医師の立身出世に役立ちました。
大量断種、新薬の治験、チフスに感染させて潜伏期間をみたもの、多胎児の実験、飢餓による人体器官の変化の研究などがありました。ほとんど実験は麻酔なしで行われましたし、命は考慮されませんでした。
衰弱するとガス室で殺されました。

『死の壁』。5000人ほどを銃殺しました。
隣の棟の窓は処刑が見えないように木でおおわれています。
もう片方の隣の棟の2階の窓も目隠しされています。
拘のついた梁。『宙づりの懲罰』に使われました。
両手を背中で結んで拘に掛けました。
第11棟は収容所の監獄です。
監獄といっても当然なんの罪もない人たちです。
抵抗運動した者や市民と接触した人、脱走に失敗した人、ほかの収容者を助けた人などの監獄です。
収容者仲間が脱走した場合も報復として餓死を宣告されました。
↑こちらではドイツ緊急裁判が開かれました。
ほとんどが『死の壁で銃殺』の判決でした。

親衛隊の部屋。
政治犯の部屋
折り重なって寝ていた囚人(にされた人)たちの写真。

囚人たちは公判を待ちました。
男性、女性と子どもは処刑前に別々の部屋で裸になります。
裸になった洗面室。
裸になった死刑因たちはそのまま外に出され処刑されました。

地下は撮影禁止でしたので、こちらの写真。
狭くて換気も明かりもない場所に直立房と呼ばれる狭い囲いがありそこに3~10日間閉じ込め朝は労働に出されました。
死刑因にされた脱走犯の身代わりを名乗り出たポーランド人のフランシスコ派神父もそこで殺されました。
棟の中庭では銃殺や絞首刑、宙づりの懲罰、鞭うちの懲罰を行いました。

第20棟は収容所病院でした。
患者で溢れ返ったためドイツは病人をフェノール心臓注射で殺し始めました。
診察もせず治療もせず殺すだけの医師。
病人を椅子に座らせフェノール心臓注射を行いました。数秒で死に、死体を隣の部屋に移動させ荷車に乗せて焼却炉に運びました。
ポーランドの子どもや妊婦もフェノール注射で殺されました。
数千人が殺されました。

集団絞首刑台。12人同時に執行できるものを作りました。
絞首刑は見せしめのため点呼時に執行されました。
主に脱走に失敗した人と脱走ほう助した人に行われました。
脱走、市民と接触した報復で12人のポーランド人を絞首刑にしました。

生還した元収容者の描いた絵です。
写真は絞首刑の被害者たちです。

点呼広場。
毎朝毎夕ここで点呼が行われました。新来の連行者やほかの収容所への移送、死亡や脱走人数を把握するためです。極寒、大雨でも数時間から十数時間続くこともあり鞭うちの懲罰を行ったりしたので多くの犠牲者が出ました。
親衛隊員は衰弱した者などガス室送りにする人を選別もしていました。
こちらは点呼責任者用の小屋。収容者の動きを監視しました。

2重の電気有刺鉄線。
外に親衛隊用の診療所
親衛隊用の事務所

そして本物のガス室です。
見取り図。
燃料のコークス貯蔵していた場所

焼却炉
焼却炉

『あなたは今SSが何千人と殺害した場所にいます。
彼らの苦しみを知り敬意を表し黙祷を。』


ここはもともとゲシュタボ(ナチスの秘密警察)の基地で脱走者を捕らえて拷問に処した場所でした。
ついに戦争が終了し
アウシュヴィッツの初代所長、SS オーバーシュトゥルムバンフューラールドルフ・ヘスは戦後裁判にかけられ死刑判決を受けます。
ポーランド最高国家法廷によってここに絞首刑に処せられました。
1947 年 4 月 16 日。

ナチの思想は“優れたゲルマン民族”、“劣ったユダヤ民族”というドイツ人の排他的優越感やユダヤ人の嫌悪があり、そしてまたヒトラーは国民に広く支持されていました。
親衛隊やこれらの虐殺に加担したドイツ人は狂人でもなければ悪人でもない『善良な一般市民』たちです。
だれも彼も私の知ってる人に当てはめられます。
パワハラ気質の○○さん(50歳スキー仲間)はこの親衛隊に当てはまるな、麻生太郎さんは「ナチの手口に学べ」と実際発言したし彼のいくつかの発言みててもナチドイツと親和性高いな、○○さんは自分がお金持ちの育ちのよいアッパークラスの人間といつも豪語してるからドイツ人貴婦人だな(40代友人)、『在日との結婚なんて絶対やめて』というレイシスト(友人の母親)もふつうにたくさんいますし、『中国人はマナーが悪い』(40代スキー仲間)、『中国人と韓国人はうるさい』(40代スキー仲間)、『中国人はなんの動物でも食べるからコロナが発生した』(50代スキー仲間)、『中国人は嘘つきだ!』(40代スキー仲間)、『おれは中国人が嫌いだ』(60代スキー仲間)、『私中国人嫌いなの』(50代知人女性)、『韓国・中国のおこちゃま旅行者』(バルセロナWalker)のような排他的優越主義の人は大勢います。イミグレで助けを求めるウィシュマさんの横で笑いながら死に至らしめてしまったスタッフや医師看護師、朝鮮学校を無償化対象外にした日本政府、それを当然のことと信じている大多数の日本国民。
ほとんどが労働し社会に貢献し我が子を育てる善良な一般市民で、そして根っこはナチドイツと同じです。
アウシュヴィッツ見学にはドイツの学生たちも学習に訪れていました。
ドイツでは子どもの頃から徹底的に何があったのか、なぜこうなったのか、2度と起こさないためにはどうすべきか、を学ぶ機会があります。
日本は正反対で、政府は歴史教科書に介入し圧力をかけ教育の場で歴史修正が行われています。
ドイツではヒトラーの子孫ももはや表にはいません。そこも日本は正反対です。
日本の高校同等レベルの教育を受けている諸外国の人たちは『ナルヒト』が戦争の最大責任者であることを知っています。ナルヒトが戦争後も天皇として存在し、その孫が今も天皇であることや、A級戦犯(不起訴)の孫が最近の総理大臣で、再び戦争ができる(海外ニュースの表現)法案をいくつか作ったよ、と言うとイギリス・ノルウェーの若い女の子たちがなぜ?クレイジー!と驚いてました。