ツィクロンB使用済みの空き缶の山です。
親衛隊員がガスマスクをしてツィクロンBをまくとそこにいた人たちは呼吸困難をきたして死亡します。


ガス室に入る全裸の女性の写真です。
ガス室に入る前に全裸にさせられていました。
死体を移動させて焼却するのはユダヤ人収容者が特命労働体として担わされていましたがそのユダヤ人収容者が命がけで隠し撮りしたものです。
アウシュヴィッツ収容所博物館では『14歳未満の子どもの入場はすすめておりません』と注意書があります。
これは成人の(しかもシニアの)私にもショックが大きかった。
もうなりふり構わず声をあげて大泣きしたかったです。

薪をくべた死体焼却の写真です。これも特命労働体のユダヤ人収容者が隠し撮りしたものです。

労働能力ありとみなされた20~25%の健康な男性は収容者の死体を運んだりする労働をさせられたのちに証拠隠滅のため殺されました。
ガス室と焼却炉の模型です。

5号室には非常に衝撃的な重犯罪の証拠がありましたが写真撮影は禁止されていたため写真はありません。
アウシュヴィッツの男性・女性収容者は髪を切られました。髪は袋に詰め込んでドイツ企業に売られ生地やフェルトの材料になりました。
この部屋には2トンの女性の髪が置いてありました。
亡くなられた方々に敬意を表し写真撮影は禁止です。
アウシュヴィッツには131000人の女性が連行されましたが多くの女性は労働不能と選別され(子連れや年老いた女性や妊婦)すぐにガス室で殺されました。

何かの学校施設かな?とも思えるくらい美しく整然と建物が並んでいます。
収容者が着させられていた服です。

第5棟です。
ユダヤ人から略奪した所持品の展示です。
戦争末期にナチは証拠隠滅のため物品保管倉庫を爆破したり空にしたりしましたが一部が残されました。
メガネ。
ユダヤの祈りのショール。
杖や義足やコルセット。
これらをつけている人たちは親衛隊がすぐに奴隷的労働能力がないと判断しランペ(降車場)からすぐにガス室に運ばれました。
鍋、皿、カップ。
ユダヤ人のトランク、カバン。
大量です。
子どもたちの服
子どもの靴など
大量の靴
限りなくあります。
第6棟
本物の収容者用の服。
収容者たちは識別のタトゥーを体につけられました。
政治犯、ジプシー、ロマ、ソ連捕虜、ゲイ、障害者
このような識別バッジをつけられたりもしました。
収容所の登録時に作られた書類の一部。3方向の写真、収容者番号、カテゴリー表記、民族名。
写真は親衛隊により証拠隠滅のため破棄されていますがいくつか残っていました。
彼らは一人残らずここで殺されました。

次は子どもたちです。
この4人の女の子たちは人体実験に使われました。
収容所で生まれた子どもたちは合計700人いました。
ユダヤ人の子どもはバケツの水で溺死させたりフェノール注射で毒殺しました。
解放後まで生き延びたのは60人ほどでした。
彫刻『母と子』。るいそう甚だしい。
子どもたちの写真。
アウシュヴィッツには18歳未満の子どもは232000人いました。
その中で解放まで生き延びたのは700人ほどでした。
戦争終結時にロシア兵がアウシュヴィッツを解放し自由になりました。