「但馬往来道しるべ」 の云われ
今の「かまや旅館」付近の国道に建てられていたもので正面に鳥取方面から見ると「右但馬」「左へ権現さん」家の方から見ると「左側に鳥取」と刻まれている。
設置時期については吉祥院(権現さん)が明治十二年 ( 1870 年) に金峰山から現代の浦富地内に移転されている事からこれ以降に建てられたものと推察される。
この道標は高さ約二メートル、幅約四十センチの形状の自然石で作られており岩美町内に在る道標としては最大級のものです。
さーあちゃんが家の前の道標の案内板を写してブログへ載せたいと自ら書いた。 もともと、但馬往来は、但馬地方と鳥取を結ぶ街道で、蒲生峠を越えるルートと海岸線の七坂八峠を通る二つのルートがあった。因幡行日記 (天保2年 1831 年) には七坂八峠を通り、浦富に宿泊した旅人の記録も残っています。
浦富は、江戸時代、鳥取藩の執政職(家老)を勤めた鵜殿氏の官地となってから、近郷の中心地として発展し、商家・宿屋も増えて但馬から鳥取城下までの旅の中継地になっていた。翌朝、駟馳山峠を越えて砂丘を歩き鳥取に向かった。
国道 178 号線が整備される迄はT路地(三差路)で札場の横にあった道標。
中央辺りが「かまや旅館」
この道標は交通事故により何度も壊れ移転いたが町民の手で守られて現在に至っている。
おまけ
三月三日に、さーあちゃんよりハガキを貰いました。
嬉しかったです。(徳治)


