昨今設定に説得力のあるヒーローものの評価が高いですよね。(特に洋物。コスチューム系に限定せず。)

自分もダークナイトやダニエル版007は面白く鑑賞したんですが、考え方や自分の行動、私生活に至るまで人間的に描写されたヒーローとはどんなもんなんでしょと思ったわけです。

思えばこの2つのヒーロー、もともとは一般市民の憧れや羨望の的だったわけでして、そこに悩みや矛盾なんかは必要なく、荒唐無稽で楽しめて格好良ければ全て良しということだったんですが、90年代からリアルさが求められてくるようになったわけです。

007が女タラせばやれセクハラだとか、アメコミヒーローがタイツで深夜徘徊するのは変態だとか言われてしまい、挙げ句の果てには自分のアイデンティティに悩んでしまいながら、グレーゾーンでもがき苦しむ姿が評価されてますよね。

これって政治に対する矛盾とか企業に対するクレームと同じ目線でヒーローを見た結果、こうせざるを得なくなったのかなあと思ったりして。

で、そういった矛盾をことごとく打ち消して、造られた作品は当然リアルになり、誰も文句を言わなくなり評価されることになります。

結果として責任を取らされたヒーローってかなりスケールがかなり小さくなって夢がなくなっちゃったなあと思うんですよ。やたら自分の行動に理屈付けなくちゃいけないしね。

景気の良かった頃はそれでも良かったと思うんですが、今必要なのはそれこそ憧れとか羨望だと考えているんですがいかがなもんでしょうか。しかしながら一旦行動に責任取らされたヒーローが今更荒唐無稽な方向に転換するわけにもいかず、シリーズそのものというか分野そのものが縮小してしまうんじゃないかと懸念してしまいます。

全ては観客の嗜好から始まったことなんですけどね。

それに対して一つの回答見せてるのがバットマンなんですが、現在カートゥーンネットワークで放送中の「バットマン ブレイブ&ボールド」以前から何かにつけて話題にしているんですが、このゴールデンエイジへの原点回帰のタイミングが実にいいと思いましたね。ノーラン版バットマンはお子様にはもう見せられないレベルだけど、こっちは安心して観れるでしょ?という提案ですよね。



このジョーカーのアホさ加減と、バットマンのツッコミ、最高です。

実際このバットマン、最初から最後までマスクは基本的に被りっぱなし、話は荒唐無稽、だけど面白い。


自分が小学生なんかの時、土曜の早朝何かにやってた往年のカートゥーンの雰囲気が抜群に出ていて好感が持てました。

コロコロと、イメージ変えるのは難しいけど、時代による要求ってのを満たしていかないとヒーローはやっていけないのかもしれません。

007もアニメを別に製作するしかないか?