フエィスブックストリーズに立ち上げたものである。なれないスマホからやっと写真がPCに写せた。やっと長年の思いを乗せることができた。

彼らがしてきたことである。年月を超えても人としてやっていいこと悪いことはある。助けてくれと相手に懇願し助けたら助けた人を、利用し騙し崖に突き落とす行為は、決して許されるものではない。

 

立場を利用した卑劣さは許されるものではない。

私と小田晋教授は利用され崖からいきなり突き落とされた。

騙す。権威のある人でありながら小田晋教授は駆け引き私利私欲のない人でした。遺族という立場を利用し助けてくれた人を計画的に近づき利用し崖からいきなり突き落とす行為は許される生き方ではない。私たちに弱弱しい振りでその裏で計画されていたことなど知る由もなかったし、武夫妻が当日、一本の電話で「二人が法務省の玄関受付にきても受け付けはできないようになっている」の電話であった。信じられない言葉。そしてそこには私たちが知らない広島から来た遺族が同行していた。何もかも全く知らない。すべてが秘密裏に進められていた。小田晋教授は人生のすべてを少年犯罪に取り組んで生きてきた方。すべてを弱弱しい演技で仕組まれていたとは。

加害者側少年とは面識があったが裁判で突然襲われたと偽証をしていたことも分かった。武夫が裁判所に凶器のナイフを忍ばせて入廷していたことは参加遺族が証言している。しかし、マスコミにより隠ぺいされた。遺族をたたき突き飛ばす行為も平然と行っていた。これらもマスコミとバックアップしていた児玉人権派弁護士と黒沼氏で仕切っていた実体である。

投稿者

長崎功子

今なせ?は声を上げたが私達が悪者にされた。マスコミは一度取り上げた記事は訂正しないからだ

投稿者

長崎功子

真実はひとつ消す事は出来ない

投稿者

長崎功子

悲し身から立ち上がった遺族まで崖から突き落とした。真実すべてがマスメデアは知りながら隠ぺいした。

報道を問う。マスコミの実態実像を問う。私たちにできることがある。

言葉の刷り込み 一番マスコミが大好きで利用する言葉の印象操作である。遺族、被害者。人々の印象を操作しやすい。特に事件事故報道である。尽きないからだ。

遺族には加害者遺族、被害者側遺族があり、当事者となる被害者加害者がいる。概要を報道しない。概要は事件事故のすべてであり本当のこと。

報道の怖さは印象操作で煽り真実事実を隠す。言葉の一人歩きが世間で始まる。週刊誌が売れる。視聴率が稼げる。彼らにはこのことがすべてしかない。報道側は会社だからだ。正義、真実ではない営業であり経営が主体の会社であるからだ。

被害者加害者、刷り込まれた印象操作。マスコミ報道会社は話題になればいいだけ責任を問われることはない。問われても問われる前に消すこともできるからだ。

世間を仕切る巨大経営会社である。法律を仕事にする会社ではない。金になりさえすればいい会社なだけ。真実、正義そんなもの関係はない。世間に問われればいくらでも打ち消せる。報道、映像の発信側。

真実を打ち消された本当の被害者側は悲惨である。報道が報じたことで何を語っても世間から「虚偽」扱いされる。

報道の誤りがあっても打ち消すことは自社で簡単にできる。

報道の自由をすべて握っている。

作り上げることも打ち消すこともすべてできる。

「冤罪」は司法だけではない。マスコミ、報道がしていることは問われない。

人々の印象は、マスコミの刷り込み報道で動かされている。

報道の垂れ流しで虚偽も「かわいそう」で終わりになる。

「冤罪」印象操作報道により作られている事実。

刷り込まれた言葉、印象は独自で調べることも否定できる脳にされているからだ。

庶民は事件概要を知ることはない。「冤罪」加害者は報道側。かれら報道は謝罪を一切しない。彼らがすべてを掌握しているからだ。

全国、全世界に発信できる術を持っている。今まで誤報道も隠ぺいし謝罪することはない。事実を打ち消すことができる側だからだ。

真実を隠された報道で被害を受けるのは私たち庶民。事件事故の当事者でありその家族。

報道は全国で影響を出しながらも誤報道で独り歩きした話題には責任を一切持たない。報道謝罪もしない。それは勝手に受け取った側の解釈だと開き直る。弱いものに責任を押し付ける。本当の弱い者いじめである。

庶民は泣き寝入りで終わる。隠ぺいされたまま泣き寝入り個人のほとんどは泣き寝入り。

TVコメンテーターは、TVの打ち合わせで、まるで自分が調べてきたかのように話す。元警察関係者もすべてを知り尽くしているわけではない。だがTVに出ると全員が専門家の印象で人々を操作できることだ。

そこに巻き込まれている私たち。

政治家も国も司法も手も足もでない。出す術がないからだ。

真実を問えば立場で叩かれ消される。

司法は「冤罪」で追い込まれる。

個人は泣き寝入りで財産も命も奪われる。

この社会は報道会社で始まり責任は問われない。問う側で発信側だからだ。

報道会社は第一権力、支配側である事実。なんでもできる会社であること。法律も掌の駒でしかない。

この会社を支えているのは私たち。そう彼らの映像を買っているから。

庶民は何もできないではない。できることは一つある。TVは宣伝費で成り立つ。新聞は購読者数で成り立っていることだ。潰すことができる。ここに無力ではあるが数は力の原理がある。

正常な世界、社会を是正できるのは庶民の力を結集すること。

数は力の論理。庶民、国民の数のほうが絶対数である。

利用されっぱなしは、もういい加減目覚めよう。足元のこと未来のこともすべて私たちに掛かっている。特に責任世代は高齢者である。今を作り上げて来たからだ。絶対数がいる。

釧路税務署の24歳職員が自ら命を

 

組織を知らず職を選ぶ誰しも入ってみないとわからない職場であり仕事。

 

結婚したばかりのころ世帯者がまず駐在所勤務を言われた50年前の警察。夫は地方の出。警察は地元よりも地方出身が多い。従順なので使い勝手がいいのだろう。過酷な日常となった。給与など薄給なのに村のイベントに祝儀袋持参でほぼ強制。風呂桶は自己で購入?私は副署長に抗議に出かけてしまった。バカにしている。従来も慣例になっていたようだ。打ち砕いた。風呂は最低価格の店を探した。やっとの公休日。パトカーが来た。人気のない課長で評判の人。公休なのにこれから出かけるのに私の前で夫に何やら因縁をつけている。私は「この野郎と」思い課長に反論した。私の勝。こんなのが幹部で存在していることが大間違いの元である。だが、階級制度の組織では反論はできないようだ。私はそんなこと無関係で生きてきた。理不尽のオンパレードに本部長に手紙を送った。運よく本部長はこの組織始まって以来の学卒ではあるが除外される対象の学卒。本部長が駐在所にきて私に逢いに来るという副署長から警電。夫たちにしたら雲の上の人。私はどんな人かで関心ばかり。車列が止まり本部長が下りた。温厚な風貌で優しい人柄。前代未聞の出来事。荒木本部長、私が生涯尊敬する一人になった。秘書という男性は感じが悪かった。その後警電で本部長から電話がある。赤封筒は私の宝物。荒木本部長が先を開けてくれた。二度とこうした本部長は出てきていない。

この先も出ないだろう。

幹部とはこうしたタイプの人が成るべきだ。名ばかりの無能な幹部の下で働くのは地獄。はい出ればいいんだよ。自分を犠牲にしてはダメなんだよ。職場いじめで命を落とす記事を見ると切なくなる。人の目より人のうわさより自分を大切にしてあげて。