今日はマヤ神聖暦で『道 3』(イヌ周期)
フクロウは知恵の象徴
先日の記事で
昨日の【ヤバ講座】は、「マヤ神聖暦」を扱うのであれば絶対的に知っていた方が良いことを教えていただきました。
今まで長いこと、いろいろなところで「マヤというもの」を学んできましたが
やっと本当に「大切なこと」を教えてくださる方に出会えたと思います。
と書きました。
これは本当にその通りで、今まで「古代マヤでは…」とか「古代マヤ人は…」と聞いたことはあっても
きちんとした歴史や経緯を聞いたことはありませんでした。
(逆に、今となっては「ソースどこ」と思う話も多々あった…
)
それもそのはず…というか何というか
「今の日本の古代マヤの情報は、中途半端か間違いのものが多い」と教授もおっしゃっているくらい
ただでさえ資料の少ないマヤのことを知ろうとしても、情報を探すところから難しいのです。
私達のイメージするマヤ文明というと
あの有名なチチェン・イッツァのククルカン神殿ではないでしょうか。
春分・秋分の‟ククルカンの降臨”があまりにも有名ですもんね
もちろん私もそんなイメージを持っていました。
が
チチェン・イッツァって、どちらかというとマヤ文明においては新しいもので
しかも例外的とも言える都市であり
マヤでありながら、かなり他文明の影響を受けていたというのは…知っていましたか?
(「マヤと言えるのか?」という説もあるそう)
あと、マヤとひと口に言っていますが
古代マヤには統一国家は無く、多くの都市国家が存在していました。
イメージで言えば…日本の戦国時代みたいな感じかな。
だから、チェチェン・イッツァだけがマヤの都市ではないし
それぞれの時代区分で様々な都市国家があり、国家同士には交易もあり戦争もあったんです。
そうそう。有名なパカル王はパレンケの王様で
パレンケとチェチェン・イッツァは時代も場所も王朝も違います。
…なんて…
こんなこと、知らなくても良いのかもしれません。
別に、マヤの歴史を知りたいわけじゃないし…って思われるかもしれません。
でも…
そこをちゃんと知っているかどうかって、すごく大切だと私は思うのです。
こういうマヤの変遷を知ると
こんなにも時代や環境が違うところに、「神聖暦」や「太陽暦」や「長期計算法(長期暦)」が同じように伝わり
大切にされ、活用されていた不思議をより強く感じます。
だから【ヤバ講座】で研究者である教授からきちんと教えていただけることは、本当に良かったと思っています。